通り雨、閃々
3. 髪
リョウに初めて会ったのは、冬枯れの枝に少しずつ緑が増えてきた季節だった。
あの日は休日で、私は薄手の長袖を買い足したくて買い物に出掛けた。
鍵をかけてバッグにしまいながら歩き出すと、401号室のドアに鍵が差さっていた。
キーホルダーも何もついていない裸の鍵が一本。
偶然目に入らなければ、何度ここを通っても気づかないほど小さな忘れ物だった。
無用心だなぁ、と一度足を止めた。
隣に住んでいるのは、その半年前に引っ越してきた二十代後半くらいの男性だ。
エレベーターで一緒になったり、ベランダにいるところを見かけたことはあるけれど、挨拶ひとつしたことはない。
華奢な印象以外はこれといった特徴がなくて、毎朝同じ時間にドアを開ける音がするから、会社員なんだろう、と想像する程度だった。
ここは田舎で治安も悪くないので盗まれることはないだろうと、そのときはそのまま出掛けた。
しかし、夕方戻ってもその鍵はまだ差さっていた。
彼が中にいるのか出掛けているのか、外から伺い知ることはできない。
三秒くらい悩んだ末にチャイムを押した。
当たり前だけど、私の部屋と同じ音がする。
『……………………はい』
長い沈黙のあと、インターホンから明らかに寝起きというかすれた男性の声がした。
「すみません。玄関ドアに鍵が差さったままですよ」
『……ああ、はい。今行きます』
消え入りそうな声でそう答えて、インターホンは切れた。
行きます、と言われて帰りにくくなり、小さくため息をつく。
面倒くさいなぁ。
親切心なんて出さなきゃよかった。
廊下の奥にある窓から西陽が差している。
その焼けつくようなオレンジ色に、明日も晴れるのか、と思った。
夕焼けは晴れ、朝焼けは雨。
なんでだっけ?
一分ほど待たされてドアが開いたとき、私はまだその答えを思い出せていなかったけれど、そんなことは頭から吹き飛んでしまった。
出てきた人には色がなかったのだ。
少なくとも、直前まで夕焼けを見ていた私にはそう見えた。
前に見かけたごく普通の会社員ではない。
青白いほどに白い肌。
とりあえず羽織っただけの大きな白いシャツとゆったりしたブルージーンズ。
何より、髪の毛は光そのもののように明るい金色だった。
廊下を染める夕陽に、そのひとは透けて消えそうな儚さでそこにいた。
彼は素足のままドアから半身を出し、
「ああ、本当だ。ありがとう」
半分寝言のような声でそう言って、鍵穴から鍵を抜き取った。
「よく失くなるんだよね、鍵って」
手の中で鍵を転がす彼の言葉に、私はようやく我にかえって答えた。
「せめてキーホルダーくらい付けたらいいんじゃないですか?」
「持ってない」
「そうですか」
ボタンが中途半端に止められたシャツは右肩からずり落ちていて、きれいな鎖骨が浮き出て見えた。
肩には小さなホクロがある。
ぼうっと立っている私を、彼は黙って見下ろしていた。
「あ、すみません。私隣に住んでる――」
「うん。知ってる」
私の目を真っ直ぐ見つめたまま、薄い唇の端が妖しく持ち上がった。
背中がぞわりとして、思わず半歩後ずさる。
何か良からぬものに直面したと、本能が感じ取っているようだった。