通り雨、閃々
初対面から馴れ馴れしいヤツにロクな人間はいない。
二度と関わりたくないし、今しがた私が受けた小さな衝撃を絶対に知られてはならない。
そう誓ったはずだった。
「ああ、これ? 気になる?」
私の不躾な視線をたどって、彼は自身の髪の毛を引っ張った。
「すみません。以前お見かけしたときとずいぶん違っているので」
「人生で髪の色変えたことなかったなぁ、って思って」
寝起きで乱れた髪を長い指がすいていく。
それは人の毛というより何か別の上等な毛皮のようで、毛並みが整うにつれ輝きを増していく。
見つめていると、金色の前髪越しに目が合った。
ひと言も発しない私に、彼はふわりと目を細める。
「どうぞ。入って」
ドアを大きく開け、彼は足裏を払うこともせずペタペタとリビングへ戻って行った。
なぜ、あのときついて行ってしまったのだろう。
私の部屋とよく似た、対称的な造りの部屋は、早春の朝みたいな深いグリーンの男の人の匂いがした。
極端に物がないせいか同じ間取りでも広く感じ、声も少し響く。
「また、引っ越しされるんですか?」
「うん。そろそろ月からお迎えが来そうだから」
月光のような髪の彼は、軽い口振りでそう言った。
「でも、もう少しこっちにいてもいいかなって、今思ってる」
彼は私の右手を持ち上げて、素早くそこに唇をつけた。
反射的に引っ込めようとしても、見た目以上に強く握られていて逃れられなかった。
「これ貸して。キーホルダー」
私の右手の中には自分の部屋の鍵があり、キーホルダーがついていた。
「貸す?」
「ちゃんと返すよ」
ほんの数分前に知り合ったばかりで、名前さえ知らない相手からの理解不能な要求に、応じる義務などなかった。
けれど私は、考えるより先に鍵からキーホルダーをはずして、彼の手のひらに乗せていた。
アクリルのウサギと小さな鈴がカラカラチリンと音を立てる。
「蓬莱の珠の枝じゃなくていいんですか?」
「そんなものより欲しいものがある」
いつの間にか腰に回されていた腕で、身体を引き寄せられた。
すぐ目の前にある睫毛は髪と違って黒くて長かった。
その睫毛が伏せられる様子を、私は目を開いたまま見ていた。
人の悪い笑みを浮かべた唇が、私の唇をゆっくりと食む。
そして唇を触れさせたままその笑みを深めた。
さすがに肩を押して、彼との間に隙間を作る。
「何してるんですか」
「キス」
「会ったばかりで?」
「半年隣に住んでる」
「それとこれとは話が違います」
「金髪は好みじゃない?」
「好みだって思ったことないです」
「いやなら明日にでも黒くするよ。他にピンクでも紫でも」
「……別に、いやじゃない」
それは髪色のことだったのに、彼は都合よく合意の言葉と受け取った。
私の手からバッグと紙袋を奪ってソファーに放り投げる。
「ねえ、名前なんていうの?」
本当の名前を教えたら、魂を取られると思った。
名前を呼ばれただけで、きっと私はこのひとの意のままに、右腕を切り取って差し出すことさえしてしまうだろう。
名前は教えたくない。
本心を見せてはいけない。
さっき通った携帯ショップで、イメージキャラクターをつとめていた女性アイドルは、なんて言ったっけ。
「ミク」
彼はふふふ、と笑って、私の髪の毛を耳にかけ、その毛先をくるくると指に絡める。
「ミクちゃんか。いい名前だね」
絡めた毛先を引っ張って、リョウはふたたび私に口づけた。
二度と関わりたくないし、今しがた私が受けた小さな衝撃を絶対に知られてはならない。
そう誓ったはずだった。
「ああ、これ? 気になる?」
私の不躾な視線をたどって、彼は自身の髪の毛を引っ張った。
「すみません。以前お見かけしたときとずいぶん違っているので」
「人生で髪の色変えたことなかったなぁ、って思って」
寝起きで乱れた髪を長い指がすいていく。
それは人の毛というより何か別の上等な毛皮のようで、毛並みが整うにつれ輝きを増していく。
見つめていると、金色の前髪越しに目が合った。
ひと言も発しない私に、彼はふわりと目を細める。
「どうぞ。入って」
ドアを大きく開け、彼は足裏を払うこともせずペタペタとリビングへ戻って行った。
なぜ、あのときついて行ってしまったのだろう。
私の部屋とよく似た、対称的な造りの部屋は、早春の朝みたいな深いグリーンの男の人の匂いがした。
極端に物がないせいか同じ間取りでも広く感じ、声も少し響く。
「また、引っ越しされるんですか?」
「うん。そろそろ月からお迎えが来そうだから」
月光のような髪の彼は、軽い口振りでそう言った。
「でも、もう少しこっちにいてもいいかなって、今思ってる」
彼は私の右手を持ち上げて、素早くそこに唇をつけた。
反射的に引っ込めようとしても、見た目以上に強く握られていて逃れられなかった。
「これ貸して。キーホルダー」
私の右手の中には自分の部屋の鍵があり、キーホルダーがついていた。
「貸す?」
「ちゃんと返すよ」
ほんの数分前に知り合ったばかりで、名前さえ知らない相手からの理解不能な要求に、応じる義務などなかった。
けれど私は、考えるより先に鍵からキーホルダーをはずして、彼の手のひらに乗せていた。
アクリルのウサギと小さな鈴がカラカラチリンと音を立てる。
「蓬莱の珠の枝じゃなくていいんですか?」
「そんなものより欲しいものがある」
いつの間にか腰に回されていた腕で、身体を引き寄せられた。
すぐ目の前にある睫毛は髪と違って黒くて長かった。
その睫毛が伏せられる様子を、私は目を開いたまま見ていた。
人の悪い笑みを浮かべた唇が、私の唇をゆっくりと食む。
そして唇を触れさせたままその笑みを深めた。
さすがに肩を押して、彼との間に隙間を作る。
「何してるんですか」
「キス」
「会ったばかりで?」
「半年隣に住んでる」
「それとこれとは話が違います」
「金髪は好みじゃない?」
「好みだって思ったことないです」
「いやなら明日にでも黒くするよ。他にピンクでも紫でも」
「……別に、いやじゃない」
それは髪色のことだったのに、彼は都合よく合意の言葉と受け取った。
私の手からバッグと紙袋を奪ってソファーに放り投げる。
「ねえ、名前なんていうの?」
本当の名前を教えたら、魂を取られると思った。
名前を呼ばれただけで、きっと私はこのひとの意のままに、右腕を切り取って差し出すことさえしてしまうだろう。
名前は教えたくない。
本心を見せてはいけない。
さっき通った携帯ショップで、イメージキャラクターをつとめていた女性アイドルは、なんて言ったっけ。
「ミク」
彼はふふふ、と笑って、私の髪の毛を耳にかけ、その毛先をくるくると指に絡める。
「ミクちゃんか。いい名前だね」
絡めた毛先を引っ張って、リョウはふたたび私に口づけた。