【完結】終わった恋にフラグはたちません!
第三話 ☆ 華麗なる転身
──私は今、呆気にとられている最中だった。
「バカ野郎!! 手ぶらで帰ってくる奴がいるか!」
その怒号は、編集室の隅から隅まで響き渡っていた。
「で、でもですね編集長、澪先生がかなり渋っていまして……」
「ったく、明日が締め切りだというのに無理難題言いやがって!……おい、巻、とりあえずお前が澪先生のとこ行って原稿もらってこい」
「わかりました」
私は自分の私物が入った段ボールを両手で持ちながら、漫画編集室の端っこで動けずにいた。
約五年間、曲がりなりにも絵本部門で編集のノウハウを積み上げたと思っていた。しかし、今自分の目の前で起きている“締め切り”という戦場。その凄まじい光景を目の当たりにすると、今までどれだけ自分が緩く仕事をしてきたのか思い知らされてしまう。
……これが、夢にまでみた漫画編集の世界。あぁ、どうしよう……もしかしてあそこに見えるのは、相沢先生の生原稿……?!
「──あ、立木さん、だよね」
漫画編集室の独特の雰囲気や生原稿に圧倒されていた私は、突然、自分の名前が呼ばれたことでハッと我に返った。
「は、はい! あの、今日、絵本編集室から異動になりました立木 伊織と言います。宜しくお願いします!」
振り向き様に慌てて自己紹介をすると、そこに立っていたのは背の高いスラッとした男性、デスクに置いた鞄を手に取りながらこちらをじっと見つめていた。
歳は……三十代前半といったところか、薄茶色の柔らかそうな髪に優しげな顔立ち、それに流行を取り入れたファッションをお洒落に着こなしている。全体的にとても落ち着いた雰囲気の男性だ。
そういえば、さっき編集長に原稿を取りに行けって言われてた人だっけ?
「あ─!……君、もしかして絵本編集から来た立木さん?! ちょうど良かった。巻、その子も一緒に連れてってくれ」
「了解です」
さっきから怒号を飛ばしている編集長らしき人物は、締め切りが迫っているからか常に身の回りの空気がピリピリしている。そして、ようやく私の存在に気がついたと思ったら突然の外出命令。
「あ、僕、巻 陽介です。──前に一度、新人研修で会ったことがあるんだけど……覚えてないよね」
え……そうなの?! こんなカッコいい人いたら忘れるはずないんだけどなぁ
「す、すみません! 私ったら記憶力乏しくて……」
「別にいいよ─。あの頃と僕、雰囲気がまた違ってるし。それより立木さん、今からすぐ出れるかな? ちょっと澪先生のところまで行かなくちゃいけないから、一緒についてきてくれる」
「澪先生って……あの大型新人漫画家の澪先生ですか?!」
私のテンション上がりっぱなしの姿が可笑しかったのか、クスッと笑った巻さんが私の方を振り返ってこう言った──
「そうだよ。その澪先生」