初恋ディストリクト
 僕はできるだけ道の端に寄ってさりげなくスマートフォンを操作しているふりをする。

 電柱があったし、新緑で青々とした葉っぱで覆われた木々もあったから、自然と景色に溶け込んでいたはずだ。

 ああ、あの女の子が気になる。ちらっちらっと視線を向けながら、こっそりと盗み見をする。
 すれ違ったときの些細な気配りと、そして猫に向けたあの屈託のない笑顔がとても素敵だったから、あの女の子に心掴まれてしまった。

「それじゃ、またね。バイバイ」

 餌やりが終わった様子だ。

 女の子は立ち上がり、猫に振り返りながら去っていく。

 猫はついていきたそうに、またはもう少し餌が欲しいとねだりながら、尻尾をピーンと立てて女の子に向かってニャーオと一声鳴いていた。

 僕と同じように女の子が去っていくのを目で追って名残惜しそうにしていた。

 女の子が遠く離れていくと、猫は座って顔を洗い出した。

 丁寧に何度も前足を舐めては顔を擦っている。
 美味しいものを貰って満足なのだろう。

 僕はそっとその猫に近づいていく。

 猫は動きを止めて、僕をじっと見ていたけど、僕が何も危害を与えないと分かると、優雅に足を開いてお腹を舐め始めた。

「なあ、猫、あの女の子は誰なの?」

 猫は僕のことなどお構いなしに、毛づくろいに励んでいた。

 訊いても無駄なのは分かってたけど、訪ねたくなってしまった。

 猫は動きを止め、女の子が去っていった方向を見つめる。
 その後に、僕を見た。

 そして立ち上がって、のっそりと歩いたあと、後ろ足の瞬発力でコンクリート塀を駆け登っていった。

 もう一度僕に振り返ってから塀を伝って歩いていった。

 お前も餌をもってこいと思っていたかもしれない。

 張り紙には猫に餌を与えるなとはあったけど、あんなに喜んで懐いている姿を見ると、餌をあげたくなってしまう。
 
 それが迷惑行為だとしても、ばれなければいいんじゃないだろうかと思ってしまった。

 女の子だって、あの張り紙の存在を知っているだろう。

 それでも餌を与えるのは彼女にとって猫は友達なんだと思う。

 自分に寄って来てくれる者を無視するのは難しいもんだ。

 今度またいつあの女の子に会えるだろう。
 そう思ったとき、僕ははっとして走り出していた。

 名前も知らない、学校も違う、接点が何もない、すれ違ったあの子。

 偶然今日は出会えたけど、いつもその偶然が続くとは限らない。

 今、彼女がどの辺に住んでいるのか知らなければ、探しようもないだろう。

 今なら彼女に追いつけるかもしれない。

< 28 / 101 >

この作品をシェア

pagetop