初恋ディストリクト
 初恋の味を知った僕はふわふわした足取りでスーパーに向かった。

 猫の餌なんて何を買えばいいのか悩んだけど、じっくりと色んなものを見てから、あの女の子が持っていたスティック状のおやつと、パックに入ったシールをはがすだけのウェットタイプのものを買った。

 それを学生鞄に入れて毎日持ち歩く。ただそれだけで、楽しみができて荒んだ心が和らいでいた。

 誰かを好きになることが、こんなにも力を与えてくれるなんて思ってもみなかった。

 恋の力ってすごい。

 彼女の通う中学に今からでも転校したいとまで思う始末。

 あまりの心の変わりように、自分でもあきれてくるのだけども、久々に周りの色がはっきりと見えて違う世界に来たみたいだ。

 こうやって物事は意識の変化 でいつも違ったものになれるのかもしれない。

 それでも表向きはいつもの僕だから、心の変化がコロコロ変わっているなんて誰も気がついてないだろう。

 僕だけがひとり一喜一憂していただけだ。

 意味もなく卑屈になっていた事が今となっては恥ずかしい。

 まあ、いっか。学校の友達はいつものように僕と接してくれるし、僕だけの隠れた問題だったのだから。


「あれ、隼八、なんかいい事あったのか? 今日はなんかよく笑うな」

 休み時間みんなと固まって話していると哲が言った。

「そうかな」

 僕は何気なさを装う。

「お前のことだ、なんか美味しいものでも食べたんだろ。それとも誰かに恋をしたか?」

「えっ、そ、そんなこと……」一度は嘘をつこうと思ったが、「あったりしてな。ハハハ」と答えていた。

「おい、おい、まさか隼八が、嘘だろ」

 哲も周りのみんなもびっくりしてたけど、その話題で話が盛り上がって僕中心にもてはやされた。

 自然体でいつも僕に付き合ってくれるくったくのない哲の笑顔に、僕は心の中でごめんと謝った。

 やっぱり哲はいい奴だ。

 自分で処理できない感情を抱いたとき、周りがよく見えなくなって卑屈になってしまう。

 一度ネガティブになってしまうと、ずるずると全てに影響して、何をしても否定的に面白くなくなってしまうのが人間の弱い心だ。

 精神のバランスが崩れるのは心の病気だ。

 僕はそれを患っていたんだ。

 その負に陥っていく過程を僕は身をもって学んだと思う。

 それも人生の一部なんだと、今なら受けいれられる。

「なあ、哲、数学の宿題ちょっと見せてよ」
「やだよ」

「ケチ」
「分かったよ、じゃあ後でなんか奢れよ」

「ああ、いいよ」

 それで全てがチャラになるのなら、何だって奢るよ。

 僕は宿題をきっちりしていたにも関わらず哲からノートを受け取った。

 罪滅ぼしのきっかけがほしかっただけだ。

 あの女の子は今学校でどう過ごしているだろう。

 虐めにあって、今は辛い思いをしているのかもしれない。

 僕がそれを変えてあげられたらどんなにいいだろう。

 勇気を出して声を掛けてみようか。

 だけど、もし嫌がられたり嫌われたらどうしようか。

 今度は恋に悩む者になってしまった。

 僕は自分の事をまだよくわかってない。

 分かってないから、ころころと気持ちが変化して、それに戸惑っては嫌気がさしたり、恥ずかしがったり、そして粋がったりと、本当にめまぐるしい。

 一言で言えば思春期。

 なんて便利な言葉だろう。

 こんな状態を簡単に言い表せるなんて。実際はとっても心苦しくてたいへんなのに。

 でもまだ僕はこの先にもっと試練があるなんて想像もつかなかった。

 ひとつが片付いて、ひとつがまたやってくる。

 そんな状態が繰り返されるとは漠然に思っても、衝撃になってどーんとやってくるなんて思わなかった。

 これは僕が悪いんだろうか。

 着々とそこに向け、物事が動いていった。
< 30 / 101 >

この作品をシェア

pagetop