初恋ディストリクト
「家に帰るときにすれ違って一目惚れしたけど、声が掛けられなくて、それでたまたま彼女が猫に餌を与えていたのを見て、自分もその猫に餌を与えて、それで接点を作ろうとしたってことか?」

 僕が説明した事を確認するように哲がまとめた。

「そうそう」

「ふーん。それでどこですれ違ったんだ」

「それは」

 うっかりと引っ越した町の名前を言ってしまった。

「なんでそんなところにいたんだ?」

 哲が疑問を持ったことで、僕はその時重大なミスをしたことに気がついてしまった。

「いや、そのちょっと用事があって」
「なんの用事があったんだ。お前、家に帰るときって言っただろう」

「だから、その、買い物だよ。それが終わって家に帰ろうとしたんだよ」
「あんなところ、何も店なんてないぞ。何を買いにいったんだ」

 哲は目を細くして違和感を覚えていた。

「その、買いにいったというのか、頼まれて行ったんだけど、結局は店を見つけられなくてさ、よくわからないままに終わったんだ」

 少し苦しい。

「あのさ、隼八、俺に何か隠しているだろ」

 ぎろっと睨んでくる哲の目に僕はビクッとしてしまった。

 哲は信頼する奴にはいつも親身になって接するから、そこに誤魔化しや嘘があるのを非常に嫌う。

 泳いでいる僕の目を見て哲は脅すように凄みを利かせた。

「いいから話せ」

 僕は観念して正直に家庭の問題を哲に話した。そのせいで引っ越したことを明かした。

「バカ野郎。なんでそんな大事なことを俺に相談しないんだ」

 哲は怒りだした。僕はひぃっと身を竦ませてしまう。

「だって、そんなこと誰にも言えないし、僕だってどう受け止めていいかわからなかった。ただ、こんなことになるのが嫌で嫌で、それを口にしてしまったら、もっと惨めになると思った。それに高校はみんなと進学できないから、それを言うのも辛かった」

「それでひとりで抱え込んで、俺の前ではヘラヘラと自分を偽って過ごしてたのか。通りでなんかおかしかったはずだ」

 哲は僕の変化には気がついていた。
 でも僕が軽く促すとそれで過ぎ去っていった。

 僕は怒っている哲をチラッと上目使いで見れば、哲は悔しそうに顔を歪ませていた。

 そんなに黙っていた事が腹立たしかったのだろうか。

 すると哲は急に肩の力を抜いて、息を漏らした。
< 32 / 101 >

この作品をシェア

pagetop