初恋ディストリクト
「可能性はあるかもしれないね。こっちの空間に猫が一度入ったとき、姿は見えなくても足元で鳴き声が聞こえたから、猫はもう少しで僕たちと同じ空間に姿を現せたのかも」

「じゃあ、その時、空間のけもの道でも通ってたのかな?」

 思いつきで上手く表現したつもりだったけど、自分で言っておいてあまりぱっとしなかった。

「僕も分からないけど、元の世界と僕たちがいる空間って紙一重の何かの違いでこうなっているのかもって思うんだ。お好み屋の匂いも微かに感じたし、現実の世界とはそんなに離れてないんだよ。この世界は現実をコピーしたもので、そこに僕たちだけが入り込んだ」

「現実をコピー?」

「ほら、僕たちが存在する現実のオリジナルがあって、それをどこかにバックアップしたようなものじゃないかな。時空のずれみたいな。それともバグかな?」

 澤田君はもしかしたらコンピューターかゲーム関係に詳しいのかもしれない。でも私にはさっぱりだ。

「よくわからないけど、そうであったとしてもオリジナルの元の世界に帰るにはどうすればいいの?」

 それが分かれば苦労はしないんだけど、この世界がああだ、こうだと知るよりも、私は手っ取り早く元の世界に戻りたい。

「うーん。ずっとどうすればいいのか僕も考えているけど、やっぱりこの世界の仕組みを知らないと、答えが見つからないような気がする。もう少し調べてみよう」

 澤田君は見えない壁を伝って端から端へと移動する。

 少しでも変化がないか、地道に探っていた。

 そういう手間を省いて、すぐ結論を求めてしてしまう私とは大違いだ。

 澤田君に任せて自分が何もしないわけにもいかない。

 出来る範囲で辺りを見回した。

 今回広がった部分にはチェーン店の百円ショップが入っていて、個人経営の店よりも店舗が大きい。

 向かいも同じような大きさの名の知れたドラッグストアが入っていた。

 どちらも大きな店だから、その大きさに沿って空間が随分と拡張されていた。

「だけど、いつの間にこんなに広がっていたんだろう」

 まだ少し痛む鼻を手で軽くさすりながら私は訊いた。

「僕たちが座って話しているときに、偶然拡張できる正解に触れたとかかな」

 この空間が広がる法則は正確に分かりようがないが、憶測として澤田君の純粋な心、または私たちの行動が影響しているのは確かかもしれない。

 澤田君とデートをしたいと私が言って、澤田君はそれに照れて恥ずかしがって、そして壁が消滅したのは事実だ。

 でもこうだと決め付けて繰り返すも、二度は成功したかのように見えたけど、三度目になると法則は発動しなかった。

 折角分かりかけてきたと思ったのにやりすぎると(つまづ)いた。

 微妙なところで何かが変化したのかもしれない。

 何か変わった事がなかったか自分なりに振り返る。

 椅子に座っていた時、何を話していただろうか。

 その時もデートの行き先について話して、色々と話が脱線していた。

 最後はどこに行くかで行き先は決まったけど、やはりデートの話になると空間が広がるのだろうか。

 澤田君を見れば一生懸命何かを探そうと見えない壁と奮闘していた。

 考え事をしているときの澤田君の目は真剣で顔つきもふと大人っぽくなっている。

 こういう面を見ると、胸がキュンとしてしまう。

 そんな気持ちが芽生えたのも、澤田君と一緒に長く居れば居るほど、心をすでに許して仲良くなっているということだ。

 近くに居るとちょっとしたドキドキもしてくるし、私たちの心が通じ合うことはやはりこの空間を左右しているのかもと思ってしまう。

 でもなんのためにこんな事が起こっているのだろう。

 そこに意味なんてあるんだろうか。

 私はずっと先の方向を見つめた。
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