初恋ディストリクト
「あの、その、僕、あのっ!」

 かなり勇気を出して声をかけてきたのだろう。
 モジモジしながらもはっきりと力を込めて踏ん張っている。

 何を言おうとしているのか、こっちも気になって私も流されるままに男の子を見ていた。

「えっと、その、僕、澤田隼八(さわだしゅんや)といいます。突然声かけてごめんなさい。でも知ってる人にあまりにも似ていて、そのつい無視できなくて」

「は、はい?」

 どうリアクションしていいのかわからなかった。

 私にそっくりな人がいる。

 それは私に声を掛ける咄嗟の嘘の言い分けのようにも聞こえた。

「そ、そうですか。それで、私は誰に似てるんですか?」

 似てる人がいるのなら私も会ってみたい。

「その、誰って言われても、えっと、名前も分からない人なんですけど」

「名前も分からない人? それなのに知ってる人?」

「はい。それはその」

 急に下向いて、さらに言いにくそうに躊躇っていた。
 また顔を上げたとき、真剣な眼差しで言った。

「僕の初恋だった人なんです」

 その後、目を逸らし恥ずかしそうにしている。

「えっと、澤田君だっけ」

「は、はい」
 
 また顔を上げて様子を窺うようにおどおどと私を見ていた。

 もしかして、それが回りまわって私、本人ってことなのかもとこの状況にドキドキしてしまう。

「その初恋だけど、それいつの話?」

「中学の時……時々見かけた女の子で、偶然バス停で同じになって。声をかけようとしたんだけど」

 そこで澤田君は黙った。

 きっと通学途中でその子に声を掛けられなくて、それで終わってしまった恋だったのだろう。

 私は中学の時は家から通える徒歩通学だったから、バスに乗って学校と家を行き来した事はなかった。

 出会いなんてなかったし、男の子に好かれて誰かに見られているなんて考えたこともなかった。

 嫌われて虐められていたから、こんな純情な男の子が惚れる私に似た女の子が羨ましい。

 初恋の女の子に似た私。そんなに悪い気もしない。私の口元が緩んだ。

「その時は声を掛けられなかったけど、今は私に声を掛けてきたんだ。あの時の思いの再現をしようとしてかな?」

 弱みを握った優越感とでもいうのか、私らしからぬ言動だ。

 それともこの不思議な状況が楽しくて調子に乗っただけなのかもしれない。

 澤田君はどこか弱々しくて自分の方が優位にいるような気分にさせた。

 澤田君ははにかんで「エヘヘ」と笑って誤魔化している。

 初めて会ったけど、親しみがもててそれが可愛く思えた。

「いや、そういうことでもないんだけど、えっと君を見ると声をかけずにはいられなくて」

「栗原智世」

「えっ?」

「私の名前」

「クリハラトモヨ……さん?」

 よろしくねっと言う変わりに私は微笑んだ。

 これでもかなり大胆に見知らぬ男の子の前で振舞っている。だけどそれがワクワクとして楽しい。
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