初恋ディストリクト
「澤田君みたいな背が高くて、優しくて、かわいくて、心が純粋な人が近寄ってきて声を掛けられたら、誰だってドキドキするの!」

 やぶれかぶれだ。

 ドドドドドとその時床が大いに揺れて、私たちはお互いを支えようと手を取り合った。

 揺れが大きくなれば、あの見えない壁の時の逆パターンで、壁が店の間隔ごとにこちらに向かってくるのがはっきりと見えた。

 大きな白い壁はまるで生き物のようにゆっくりと威圧的に進んでいた。

 私は怖くて思わず目を瞑ってしまった。

 揺れが収まるまでふたりしてくっつきあった。

「あっ」

 澤田君が叫んだ。

「どうしたの?」

「やっぱりそうか……」

 澤田君は突然ぶつぶつと独り言を言いだした。

 そしてぐっと体に力を入れて背筋を伸ばした時、確信したようにありったけの大きな声を出した。

「僕も、栗原さんが初恋の人に似ていて、本当にびっくりして、本人だって思ってしまった。今でもそうじゃないかって、どこかで思ってる!」

 澤田君もいつしか正直になって叫んでいた。

「そんなのありえないよ」

「ううん、ありえるかもしれない。この空間の謎が分かったかもしれない」

「ほんと?」

「壁が動いて、揺れた時、猫が一瞬見えたんだ。その猫がグリッチみたいにノイズがかっていて、やがてふたつに分かれたように見えた。そこには二匹猫がいたように見えた」

「揺れてたから見間違えたんじゃないの」

「僕たちが猫を見たとき、色があやふやだったよね。それっていろんな空間にいた猫がひとつに重なっていたんだ」

「訳がわかんない」

 すぐ理解できない私。

 澤田君も上手く説明できなくてもどかしそうだ。言葉を一生懸命探して「うーん」と唸っていた。

「あのね、なぜ僕たちがここにいるか考えたら、その理由は簡単なことだったんだ」

 簡単なこと? 

 私にはそうは思えない。
 もう泣きそうだ。

「栗原さん。ずっと前に猫に餌をあげようとした時、自転車に乗ったお爺さんがいきなりどなってきたんじゃなかった?」

 あれ、澤田君にお爺さんのことまで話したっけ? 

 私はうるさい人って言っただけだったような……。

 疑問を持ちながら、あの時の事を思い浮かべた。

「うん、そうだったよ。あの時は怖かった。とにかく謝ったけど、なんか悔しくもなって、それで……」

「走って逃げた。それも目を赤くして、泣きそうに、いや、すでに泣いていた状態で走っていた」

「そうだけど、私そのことそんなに詳しく話したっけ?」

「その時、僕は見てたんだ。僕は助けに行きたかったんだ。でもどうしていいかわからなくて、足も竦んで何もできなかった」

「澤田君が私を見てた?」
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