初恋ディストリクト
 ◇栗原智世の時間軸

 朝起きたら、自分が体験した事が夢のように、あやふやになってしまっていた。

 ずっと留めておきたいのにすぐに薄れて行くこの感覚が嫌で、自分でもどう対処していいかわからない。

 本当に起こったことだったと確信したくて私は決心する。

 もう一度、あの路地から商店街の中に入って確かめるんだ。

 身支度を済ませたあと、私はピンクのパーカーを着て同じ場所へと向かった。

 何かがまた変わるんじゃないかと期待しながら、そこで暫く突っ立っていた。

 不自然に突っ立っている私を、行き交う人が不審者みたいに見て過ぎ去っていく。

 路地に近い婦人服店のオーナーらしき年老いたお爺さんが店から出てきて、私を怪しんだ目でハタキを振りながら露骨にじろじろ見つめた。

「あんたそんなところで何をしている」

 商品を万引きするとでも思ったのだろうか。誤解されるのが嫌なので言い訳をする。

「あの、人を待ってるんですけど、この辺で高校生くらいの男の子を見なかったですか?」

「さあ、そういう子はこの辺よく歩いていると思うけど」

「背が178cmあって、ひょろっと細めで、いつもニコニコしているような男の子なんです」

「さあ、詳しく言われても、わからんな」

 商売人にしてはぶっきらぼうで感じが悪い。

 自分の不審な行動が心証を悪くしたに違いない。

 それでもちゃんと答えてくれたから敬意を一応払う。

「そうですか。ありがとうございました」

 頭を下げながらも、無駄な努力だったというのは内心わかっていた。

 それでもまだ何かが起こるかもしれないとどこかで期待すると、そこから離れたくなくなってくる。

 気持ちだけがぐっとこみ上げて、目が思わず潤んでしまった。

 どうしていいかわからないまま、少しモジモジしているとお爺さんが言った。

「なんか事情がありそうだし、気になるんだったら、納得するまでそこで待ってるがいい。どうせ、ここの商品はあんたの趣味には合わんだろうし、そこにいたところで何も心配してないから」

 パタパタとまたハタキをかけて店の奥に入っていった。

 愛想が悪いと思っていたことが申し訳なくなるほど、いいお爺さんじゃないかと心が温まった。

 お爺さんの計らいでもうしばらくそこに立っていた。

 どれくらいそこで待っていたのだろう。

 結局、澤田君に会うこともなかったし、誰もいないあの別の空間に再び入れることもなかった。

 トイレにも行きたくなってしまい、やっと諦めがついたところで商店街をあとにする。

 澤田君に会いたい。

 また楽しくふたりで語り合いたい。

「グ・リ・コ」

 薄暗い路地で弾むように三歩進んだ。

 自分を元気つけるように。
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