初恋ディストリクト

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 ◇澤田隼八の時間軸

 ケーキの箱がグリッチのように歪んですっと縮んだ。

 でもそれは消えずにそこに何かが形を変えて現れた。

 ラップに包まれたおにぎり。

 具の混ざり具合で僕の大好きなものだとすぐに分かる。

 僕は辺りを見回し、時空の歪みの何かに触れられないか手当たり次第に手を伸ばした。

 何の感触もなく、桜の花びらの上におにぎりが転がっているだけだった。

 僕はそれを手にして桜の木の下に座り込んだ。

 今ここは確実に栗原さんの世界線と交わっている。

 両手でおにぎりを包み込み、じっと目を瞑る。

 気配だけでも感じられれば、五感を研ぎ澄ませた。

 空間の歪みはシャボン玉のようだ。

 それは大きくなってやがて消えていく。

 気まぐれか、何かの条件が重なった時なのか、それは分かりようがないのだけど、ここもきっとそうであるようにいずれ消滅するのだろう。

 すぐ側に栗原さんがいると分かっているのに、会えない程遠い場所。

 やっぱり何も感じ取れない。

 そして再び目を開けた時だった。

「あっ」

 またケーキの箱が現れた。

 蓋が開いたままで、ケーキがひとつ減っていた。

 この一箇所は小さい範囲ではあるけど、その分交わる力が濃縮されているのかもしれない。

 僕が椅子を取り出したとき、あれは猫が僕の足に触れた後、空間を移動していたときに起こったことだった。

 ここで同じようなことが起こっているとしたら――僕ははっとした。

 桜の木の枝にスズメがいる。

 確かスズメは桜の花をちぎりとって花の蜜を吸うと聞いた事がある。

 だから木の下に桜の花を落としてしまう。

 この中に空間を移動したスズメがいて、桜の花びらをここに落とした。

 空間を移動したスズメが触れた桜の花にまた物が触れたら、今この空間だけ物の移動できるのかもしれない。

 でもその移動できるものの大きさや条件は限られているのだろう。

 人間も可能なら、とっくに僕か栗原さんの移動があるはずだ。

「栗原さん」

 せめて僕の声が届けばいいのに。

 もどかしくて奥歯を噛み締めた。

 手に持っていたおにぎりを見つめ、ぼくはラップをはがしてそれを一口食べた。

 母が作るいつもの味だ。

 もしかしたら栗原さんは僕の母を見つけて作り方を聞いたのかもしれない。

 僕が食べていると、頭上からちゅんちゅんとスズメの声が聞こえた。

 人に慣れているように見えるのは、ここでお弁当を食べる人たちからおすそ分けを時々もらっているのかも。

 僕も少し米粒を投げてみた。

 やっぱりスズメはそれを狙って下りてきた。
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