初恋ディストリクト
 ◇栗原智世の時間軸

 ケーキの箱がまた消えていた。

 やはり繋がっている。

 その仕組みは全く分からないけど、私も澤田君の世界線に行けるのかと思えば、それは無理なことだと感じた。

 空間の歪みに入ったとき、澤田君曰く、そこはどこの世界線にも属さないオリジナルの場所だった。

 だから私たちはそこに一緒に居られた。

 再び路地が通れるようになった時、自分が通った道、すなわち自分の世界線にしか帰れなかった。

 だから私たちはお互いの世界線には入る事ができないのだと思う。

 あの空間は初恋が実らなかった澤田君が作り出したものだと思う。

 だからあの現象はもう起こらない。

 だって私は澤田君のこと好きになってるから、初恋は実ったということになるのだから。

「澤田君、初恋が実ってることに気づいてますか?」

 あの空間に制限があったように、この小さな時空の歪みもいつしか消えていくのだろう。

 折角側にいるのが分かってるのに、どうすることもできないなんて。

 私は手に持っていたケーキのフィルムをはがし、そしてぱくっと口に入れた。

 あっさりとした生クリームが舌の上でとけるようだ。

 柔らかいスポンジとスライスされた苺の甘酸っぱさが混ざり合ってとてもおいしい。

 澤田君、おいしいよ。

 その時、私の隣で異変が起こった。

 おにぎりを持った澤田君が隣で座っている。

 澤田君もびっくりして私を見ている。

 でも反対側の手で、人差し指を立ててそれを口元に持ってきた。

 それは私に静かにしてほしいと意味している。

 そして足に向かって指を差した。

 澤田君の伸ばした足にはスズメが一羽とまっていた。

 理由はわからないけど、澤田君が突然現れたのはこのスズメが原因かもしれない。

 だけど、澤田君のビジョンはとても淡く、今にも消えそうに弱々しい。なんてはかない戯れだろう。

 でもまた澤田君に会えて嬉しい。

 澤田君、澤田君、澤田君! 

 何度も名前を繰り返してしまう。

 ああ、この瞬間、澤田君に伝えないと、私の気持ちを――。
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