夏の終わりと貴方に告げる、さよなら
 良平さんのいるマンションには戻れない。戻りたくなかった。今は何を聞かれても答えられる気がしなかったから。心配もかけたくなかった。

 終電を逃して行き場を失い、独り立ち尽くす。周りの好奇の目に晒されても、最早何も感じなかった。通行人達は遠巻きに嶺奈を見ては、皆見ぬふりをして、足早に通り過ぎていく。

 寒く感じるのは身体か心か。

 私はどうすれば良かったのだろう。

 独りぼっちで、迷子の気分だった。誰かが私の手を引いて、導いてくれたら。出口の見えない暗闇から、救い出してくれたらいいのに。

「──風邪ひくよ。嶺奈」
 
 そんな都合のいいことばかり考えていると、声が聞こえた気がした。どうやら私は、幻聴まで聞こえるようになってしまったらしい。

 そして、不意に視界を遮る雨が止んだ。ビニールに弾けて、流れ落ちていく雨音が鼓膜に響く。

 後ろから傘を差し出されたと理解するまでに、数秒間、思考が停止した。

「探した……」

 相手は自分が濡れることも顧みず、嶺奈を抱きしめる。

 ──良平、さん。

 どうして、私の居場所が分かったのだろう。どうして、私を迎えに来てくれたのだろう。

「気は済んだ?」

 彼はそれ以上のことは聞かずに、嶺奈の返事を待ちわびる。寒さで震えているせいで、嶺奈は思うように声が出せずに、微かに頷いた。

 私が迷い、苦しんだとき、彼は救世主のようにいつも突然に現れる。

 我が儘で、嘘つきで、最低な私のことなんか、放って置けばよかったのに、彼はそれを良しとはしなかった。

 愛される資格も、許される資格も私には少しも無いのに。

 強引に繋がれた右手に、彼の熱が移り、冷えた指先は、少しずつ温かみを取り戻していく。

 迷子を先導するように、立花は嶺奈の手をしっかりと握りしめると、ゆっくりと歩き出した。
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