20年を得て



私の家は裕福な家庭じゃない。

だから、お金の面で迷惑かけたくなかった。


前ページで診断を受けてから、精神状態は悪化していくばかりだった


次第に外に出るのも嫌になった。


朝の母の声掛けにも答えたくなくて、寝たふりするくらいには誰ともかかわりたくなかった。

それでもしっかりご飯は食べたしお風呂も入った。

でも外を走る車の音や笑いながら歩く人たちの声をきくのが嫌だった。


なぜかって?


人間は変われないから、中学校でも私はいじりの対象だった。


3年生の夏、体育大会だけ出席した。それ以外は登校した日があるかは覚えていない。

お母さん、最初はなんでいかないのか聞いてきたけど、

そのうち聞かなくなって、私に寄り添ってくれたの②姉も③姉も

外に出られない私を見かねて

近くは無理かも

でも遠出したら出られるんじゃないかって、

あなたの息抜きになるならいいんだって言ってくれてお母さんの休みの日にはたくさんお出かけした。


それでも登校できなかった。

登校時間になると腹痛、吐き気、頭痛の3つが必ずついてくる。

私さ、学校に行こうとした時もあったんだよ。

制服着て、ヘルメットかぶって

自転車にまたがって家を出て3分経ったところかな


やっぱり無理で引き返して


家に帰ってひとり部屋で泣いたのを今でも鮮明に覚えてるよ


なんで私はこんなに何もできないんだ。

登校さえもできないなんて

私なんて生まれなきゃよかったのに

いっぱい思った。


そして私の唯一の挑戦は終わった。


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