【短】甘く溺れるように殺される。
言われるがままに、後についていけば…。
この時間帯使われていない会議室に通される。
ありきたりなこの行動。
私はこの先に言われるであろう言葉を頭に浮かべながら、半笑いを向けた。
…色っぽく。
全力の艶かしさ…、まるで女豹を思わせるような態度で。
けれど、声は強くて固い意思を保って。
「なんでしょう…?"鷹野主任"?」
「…そんなに邪険にするなよ、傷付くな。まぁ…いいじゃないか、此処にはふたりしかいないだろ?」
くつくつ、と喉の奥から楽しげな低く心地良い笑い声。
私は飽きれて溜息吐く。
「そういうのを、公私混同っていうんですよ」
さらさらの顎の辺りで揺れるボブヘアに、小ぶりのタンザナイト石をあしらったピアスを付けている私の今のオーラはきっと…蒼寂…。
そんな言葉をまた頭に浮かべながら、私はするりと頬に掛かったその一房の髪を耳に掛ける。
「二人だけだよ…虹子」
「やめて…」
ぐいっと腰を手を回されそうになって、それを避け私は彼から50センチ程距離を取った。
「"此処"では、あくまでも上司とその部下ですよ?だから、こうやって人目の付かない所に呼び出すのは…止めてくださいません?」
今度は、柔らかく。
けして、角を立たせずに…。
「虹子…」
「何度も言わせないで…私は今仕事中なんです。仕事以外のお話なら、お暇させて頂きます」
「…綾瀬さん、じゃあこのメモだけ受け取ってくれるか?必要事項は全て書いてあるから…」
かさり
その紙を彼の長くてごつごつしている指を伝って、私の目の前に差し出される。
「なんです?これ?」
「後で目を通しておいて。それじゃあ呼び出して悪かったね」
それだけ言うと、彼は私の手のひらに少し強引にそのメモ用紙を握らせる。
一瞬だけ触れた手先がジンジンと熱を持つ。
けれど、それは気の迷いだと言い聞かせ、私は会議室を何でも無いことのように先に出た。
こんな生活、早くピリオドを打って断ち切った方がいい…。
何千何万回と考えた。
それでも、まだこの関係に縋ってしまうのは…心の中に風穴が吹いているかもしれない。
「金曜何時もの時間に何時もの場所で…」
走り書きされた、それでも整った彼らしい字。
それにサッと目を通してからスーツのポケットに突っ込むと、私は深い深い溜息を吐いて、会議室の扉をそっと締める。
甘い誘惑に勝てずに、恋い焦がれた男に身を任せた日から…私は如何しょうもない焦燥感と罪悪感と、それとはまた違った幻の愛情というものに苛まれている。
けして、自分だけのものにならない存在。
この微妙な関係性を、自ら楽しんで束縛をしてくるヒト。
悪い、悪い…男。
柔い真綿のロープで、少しずつ私を締め付けていく。
私じゃない"正しい"愛に、恵まれている筈なのに…彼は如何して、こんな私に執着するのか。
きっと、私なら割り切った関係を続けられると思っているのだろう。
「ばかね…」
誰もいないエレベーター前で、私は呟いた。
それは何方に向かっての言葉なのか…。
それは、雲を掴む様な果てしない謎。
「毎回金曜日の夜に奥さんとは違う女の匂いを付けて帰っているのに…、それでもやめないのね…」
どうかしてる。
なのに、まだ離れられない。
そんな私こそ、どうかしてる…。