それは手から始まる恋でした
「おはよう波野さん」
「お、おはようございます」

 高良はご機嫌だ。私の耳元でこう囁いた。

「大好きな彼氏にようやく会えてその反応か?」
「あはは……」

 笑って何とか誤魔化したが、バレてしまったらどうしよう。絶対怒るよな。怒ったらどうなるんだろう。会社クビ? 港なんてことしてくれたんだ!

 私はトイレに行き、顔を叩いて気を引き締めトイレを出た。すると男性トイレから手が出てきて腕を掴まれ男性トイレの中に引き込まれた。悲鳴を上げようとしたその時、高良が私の口を押えた。

「騒ぐなよ」

 私が頷くと彼は手を離した。

「どうした? 心ここにあらずって感じだが何かあったのか?」
「いや何も……」
「目が泳いでる。嘘が下手だな」

 外から男性の話し声が聞こえてきた。トイレは廊下の突き当り。彼らは確実にここを目指している。高良は私の手を取り、個室に移動した。

「それで何考えてるんだ?」

 高良は水を流しながら私の耳元で話しかけてきた。

「えっと、高良さんかっこいいなって」
「嘘だな」

 高良は目を細めている。

「今日仕事が終わったら俺の家に来い。いいな」

 私は頷いた。高良は私の手を触り唇に当てて息を荒くしている。こんなところで何を興奮しているんだこの男は。

「高良さん」
「気づかれるぞ」

 水の音は既に終わっている。水の音を流すために手を伸ばしたいが、その手が高良に支配されている。高良の吐く息で私の感覚が研ぎ澄まされる。自然と鼓動は早くなり、息が苦しくなってきた。

 男性たちがトイレを出たのを見計らって私は高良から離れようとした。

「もうちょっと」

 高良は私の両手を堪能する。

「潤しているご褒美。この唇ならキスしたくなる」

 そう言うと高良は再び私にキスをした。港はいつも優しいのにキスは荒々しかった。高良はいつも口が悪いのにキスは優しく甘い。私は高良のキスが好き。

「今はここまでだ。仕事が終わったらそのまま俺の家に来いよ」

 高良は私に鍵を渡した。

 港のことを言うべきか言わないべきか、私はその後も悩み心ここにあらずだったが、高良は満足そうな笑みを浮かべている。きっと私が高良とのキスを喜んで集中できないと勘違いしているのだろう。
< 48 / 118 >

この作品をシェア

pagetop