指輪を外したら、さようなら。



「比呂を捨てる決心がついたので、連絡しました」

 注文を聞いたウエイターが立ち去ると同時に、言った。

 比呂の奥さん、美幸さんは、クイッと顎を上げたが、すぐに戻した。

「飽きちゃった?」

「ええ」

「比呂は納得してるの?」

「どうでもいいことです」と言って、私は水のグラスに口をつけた。

「どうでもいい?」

「はい。私が、比呂と別れると決めたんです。比呂の気持ちはどうでもいい」

「ひどい人ね」

「人様の夫を唆す程度には」

「相変わらず、面白い人」

 くすくすと笑う彼女は、心から面白がっているようだ。

「仰った通り、比呂を解放してください」

「あなたが本当に比呂と別れるって証拠は? 離婚が成立した途端によりを戻しましたなんて、ない?」

「これを――」と、私はバッグからクリアファイルを取り出し、挟んである用紙を二枚、テーブルに並べた。

「私の署名捺印は済んでいます」

「念書?」

 美幸さんは用紙を手に取った。

 内容は、簡単に言うとこう。

 私と比呂は今後一切関わりを持たない、持った場合は違約金として一千万を美幸さんに支払う。美幸さんは比呂と離婚し、今後一切関わりを持たない、美幸さんから接触した場合は違約金として一千万を比呂に支払う。

「ふぅん……」

 読み終えた彼女は、念書をテーブルに戻した。

 ウエイターがホットコーヒーとホットミルクティーを運んで来て、私は念書をファイルに挟んだ。

「どうして別れる気になったの?」

 あまり興味はなさそうに、美幸さんが聞いた。

「飽きたので」

「人様の夫を捕まえて、酷いのね」

「あなたにだけは言われたくありません」

「それは、そうね。で? どうして?」

 飽きた、という理由では、どうあっても納得できないらしい。

 一応、追加の理由は用意してきたが、説得力が増すかは微妙だった。

「比呂以上に本気になれそうな男が出来たので」

 言った先から疑いの眼差しを向けられた。



 ま、そうだよね……。



「とにかく――」

「――この念書、あなたには何の利もないのね」

「え?」

「違約金が発生した場合に受け取れるのは私と比呂でしょう? あなたは? 好きな男と別れるのに、見返りが何もない」

「見返りが欲しくて比呂と付き合っていたわけじゃありませんから」

「比呂自身が見返りだものね? じゃあ、こんな念書まで交わしてまで比呂と別れる見返りは?」

 そんなもの、決まっている。

 決まっているけれど、口には出来ない。

 私は言葉を飲み、僅かに頬を上げた。

「自己満足……ですかね」

「自己満足?」
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