指輪を外したら、さようなら。
「前に話したでしょ? なかなか別れてくれない男の、奥さん」
龍也を見上げて言う。
「ああ」とだけ、龍也は言った。
「ということで、サインしてもらえますか?」
美幸さんは訝し気に私と龍也を見比べていたが、ファイルを手に取った。
「印鑑がないから、拇印でいいかしら?」
「はい」
「これをどうぞ」
龍也が持っていた鞄から朱肉を出し、蓋を回して開ける。それを、美幸さんの前に置いた。
美幸さんは自分のペンで二枚の念書にサインをして、龍也の朱肉で拇印を押した。おしぼりで指を拭いている間に、龍也が二枚とファイルを手に取った。
「ありがとうございます。これで、千尋と一緒になれる」
そう言って、一枚を美幸さんに差し出した。
「不倫するような女でいいの?」と、美幸さんが聞いた。
「俺の為に不倫をやめてくれたんなら、それでいい」
「そ」
美幸さんは念書を半分に折ってバッグに入れると、そのバッグを持って立ち上がった。そして、バッグの中に手を入れる。
「ここは俺が」と、龍也が言った。
「ごちそうさま。お幸せにね」と言って、美幸さんはヒールを鳴らして去って行った。
「この貸しはデカいぞ」
美幸さんの姿が見えなくなると、龍也が言った。持っていた念書をファイルに入れて私に手渡す。
「ありがとう。助かったわ」
「なぁ、千尋」
「説教なら――」
「――指輪フェチってホント?」
「なに、それ」
私は元いたソファに腰を下ろした。
龍也は、さっきまで美幸さんが座っていたソファ。
「麻衣さんが言ってた」
「ああ。酔ってそんなようなこと、言ったかもね」
「他の女との揃いの指輪じゃなく、自分と揃いの指輪をしてる男じゃダメなのか?」
「考えたこともないわ」
「なら、考えろ」
龍也がコートの内ポケットからスマホを取り出し、立ち上がった。
「素敵なマフラーね」
ワインカラーで、おそらくカシミヤ。
「だろ? あきらからのクリスマスプレゼント」
龍也は嬉しそうに顔を綻ばせ、「じゃな」と片手を挙げて別れの挨拶をして、カフェを出て行った。
お揃いの指輪……か。
私は冷えたコーヒーを飲み干し、念書を見つめた。
ごめんね、比呂。
指輪を外していなくても、さようなら。
念書をファイルに入れていて良かった。そうじゃなければ、私の印鑑が滲んでいた。
美幸さんの拇印も。
涙で滲んだ印鑑と拇印なんて、きっと無効だ。
そうならなくて、本当に良かった。
龍也を見上げて言う。
「ああ」とだけ、龍也は言った。
「ということで、サインしてもらえますか?」
美幸さんは訝し気に私と龍也を見比べていたが、ファイルを手に取った。
「印鑑がないから、拇印でいいかしら?」
「はい」
「これをどうぞ」
龍也が持っていた鞄から朱肉を出し、蓋を回して開ける。それを、美幸さんの前に置いた。
美幸さんは自分のペンで二枚の念書にサインをして、龍也の朱肉で拇印を押した。おしぼりで指を拭いている間に、龍也が二枚とファイルを手に取った。
「ありがとうございます。これで、千尋と一緒になれる」
そう言って、一枚を美幸さんに差し出した。
「不倫するような女でいいの?」と、美幸さんが聞いた。
「俺の為に不倫をやめてくれたんなら、それでいい」
「そ」
美幸さんは念書を半分に折ってバッグに入れると、そのバッグを持って立ち上がった。そして、バッグの中に手を入れる。
「ここは俺が」と、龍也が言った。
「ごちそうさま。お幸せにね」と言って、美幸さんはヒールを鳴らして去って行った。
「この貸しはデカいぞ」
美幸さんの姿が見えなくなると、龍也が言った。持っていた念書をファイルに入れて私に手渡す。
「ありがとう。助かったわ」
「なぁ、千尋」
「説教なら――」
「――指輪フェチってホント?」
「なに、それ」
私は元いたソファに腰を下ろした。
龍也は、さっきまで美幸さんが座っていたソファ。
「麻衣さんが言ってた」
「ああ。酔ってそんなようなこと、言ったかもね」
「他の女との揃いの指輪じゃなく、自分と揃いの指輪をしてる男じゃダメなのか?」
「考えたこともないわ」
「なら、考えろ」
龍也がコートの内ポケットからスマホを取り出し、立ち上がった。
「素敵なマフラーね」
ワインカラーで、おそらくカシミヤ。
「だろ? あきらからのクリスマスプレゼント」
龍也は嬉しそうに顔を綻ばせ、「じゃな」と片手を挙げて別れの挨拶をして、カフェを出て行った。
お揃いの指輪……か。
私は冷えたコーヒーを飲み干し、念書を見つめた。
ごめんね、比呂。
指輪を外していなくても、さようなら。
念書をファイルに入れていて良かった。そうじゃなければ、私の印鑑が滲んでいた。
美幸さんの拇印も。
涙で滲んだ印鑑と拇印なんて、きっと無効だ。
そうならなくて、本当に良かった。