指輪を外したら、さようなら。
念の為にと、鶴本くんにメッセージを送ったのは、帯広駅に到着してすぐだった。
『千尋の実家が帯広だとわかったので、来てみました』
とりあえず、千尋とテレビで見た○花亭に向かおうと、駅を出たところで、バイブにしたままのスマホが胸ポケットで震えた。
鶴本くんからの着信だった。
「はい」
『もしもし』
女の声。
「あの――」
『――初めまして。私、千尋の友達のさなえと言います』
「はぁ」
『今、千尋と電話してます』
「はっ!?」
『千尋は元気で、帯広の実家にいるそうです』
来て良かった、と思った。
かなり衝動的に電車に乗ったもんだから、本当にそう思った。
「そうですか」
『はい。札幌に帰って来るように約束してくれました』
「それは、良かった」
『はい。なので――』
「――千尋と話せませんか?」
『何を話すつもりですか?』
「俺は今、帯広にいます。千尋を迎えに来たんですけど、無理やり連れて帰ろうとは思ってません。ただ、向き合って話がしたい。彼女の本心が知りたい。けど、俺は着拒されてメッセージも既読にならないんで」
電車の中からも電話したりメッセージを送ったりしたが、うんともすんとも音沙汰はない。
いっそのこと、交番で『この辺の相川さん家を教えてください』とでも聞いてみるかと思っていたくらいだから、さなえさんからの電話には救われた思いだ。
『わかりました。スピーカーに切り替えますから』
とたとたと複数の足音が聞こえ、コトンと恐らくスマホを置く音。
『有川さん、どうぞ』
俺は、恐る恐る彼女の名を呼んだ。
「千尋?」
スマホ同士を並べて、ちゃんと声が聞こえるのか心配になり、もう一度大きな声で呼ぼうかと思った時、焦がれた声が鼓膜を叩いた。
『比呂? そこにいたの?』
いつもの千尋の声よりも機械的ではあるが、確かに彼女の声。
同じ帯広市内にいるはずなのに、人のスマホ経由でなければ声も聞けないなんて、なんて遠いのか。
「いや、今、帯広駅にいる」
『はっ!?』
「これから六○亭の西三条店に行く。きっかり三十分後に、サクサ○パイを注文する。そのパイの賞味期限三時間だけ、待ってるよ」
たった今、思いついたこと。
『なに、言って――』
「――前にテレビを見て食べたいって言ったろ? 一緒に食べよう」
『……』
「三時間待ってお前が来なかったら、食べずに帰る。もう、お前を追わない。諦めるよ」
これは昨夜から、考えていたこと。
「ついでに、サクサク○イも諦めるよ。すげー美味そうだから食いたかったけど、お前を思い出しそうだから一生食えないだろうな」
『パイくらいで何を――』
「――千尋はお母さんの生き方をどう思う?」
『おか……さん?』
「俺は、お前を、お前のお母さんのようにしたくない。いくら純愛でも、三十年も離れ離れなんて、俺には耐えられない。だから、俺は、三時間だ」
『みじかっ!』
突然割り込んで来た男の声に、俺は思わず「はははっ」と笑ってしまった。
確かに、どんだけ気が短いんだよ、って話だよな。
けど――。
「俺達にはちょうどいいだろ」
きっと、三十時間でも、三日でも、三十日でも、千尋の答えは変わらない。
だったら、さっさと……。
俺はアスファルトの見える歩道を歩きだした。