指輪を外したら、さようなら。
「いい天気……」
私は公園の東屋で日差しを避け、ぼんやりと砂場を眺めていた。
もうすぐ三歳になろうとしている女の子と、その父親が、砂場でしゃがみこんでいる。
父親は水分補給のために持って来たペットボトルのキャップを開けて、砂の上に垂らした。湿った砂を両手でかき集めて、山にする。それから、余分な砂を削り、形を整えていく。
柔らかな髪にリボンを巻いた女の子は、父親の手で形を変えていく砂をじっと見つめていた。
父親は、四角く固めた砂に指先で線を引いたり、指を押し込んで凹ませたりしながら、娘に何やら説明している。
女の子は真剣にうんうんと頷いているが、次第に飽きてきて、父親の作った砂の家を叩いて潰してしまった。
父親は口を尖らせて、肩を落としている。
それを見た女の子は砂まみれの小さな手で父親の頭を撫でた。
父親は少し困った顔をして、けれどすぐに笑ってその子を抱き締めた。
「パパ! 未来の服が汚れちゃうじゃない!」
砂場に向かって声を発した時、違和感もった。
覚えのある光景と、台詞。
あの時、夢の内容を比呂に話さなくて良かった……。
今ならわかる。
あの夢を見た時には、もう、未来はお腹にいた。
比呂との別れが近いことを覚悟していた私に、諦めるなと未来が見せた正夢だったのかもしれない。
私の言葉に、未来が比呂の手を払い除け、自分の服の泥を確認して、泣きだした。
「あっ、あきちゃ――たっく――くれ――にぃー!」
比呂に一生懸命訴えているが、比呂は未来が何を言っているのかわからずに、彼女の服の泥を払っている。が、その手も泥で汚れているのだから、意味はない。
「もうっ――」と呟くと、私は膝の上のバッグからハンドタオルを取り出して立ち上がった。
砂場に駆け寄り、タオルで娘の服の泥を払う。
「ママッ! パパ――っが、みくのっ――、ばっちくしたぁ!!」
瞳よりも大きいくらいの涙を、ボロボロとこぼす。
「あ、砂の手で目を擦っちゃダメだよ」
私はタオルで未来の手も拭く。
「パパ、きらいー!」
公園どころか、周辺の家にまで響く泣き声と、娘からの『きらい』の言葉に、比呂は口をポカンと開け、呼吸を忘れている。
「未来、服は洗濯したら綺麗になるから」
「うわーーーっん!」
喉の奥の奥まで見えそうなほど大口を開けて泣く未来に、私は魔法の呪文を唱えた。
「未来、もうすぐ大斗が帰って来るよ? 泣いてたら、笑われちゃうよ?」
「えーーーんっ! え……っ」
泣き声がピタリとやむ。そのタイミングで、もう一度言う。
「大斗に、赤ちゃんみたいって思われちゃうよ?」
「やっ!」
「じゃあ、っほら。顔を拭いて、大斗を待っていよう?」
バッグの中からもう一枚、タオルを取り出して、未来の顔を拭く。
「みく、かーいー?」
「うん。可愛いよ」
二歳も立派な女。
可愛いと言われてご満悦。
それに引き換え、最愛の娘に『きらい』と言われた衝撃に、比呂は開いていた口を閉じたと思ったら、ギュッと唇を結んで顎に皺を寄せた。
「パパ、未来に謝って」
「ごめん……」
「未来、服は帰ったら洗ってあげるから、パパを許してあげて」
「うん! ママ、みじゅ!」
私は未来用の水筒の蓋を外し、娘の口元に寄せた。先端のストローを咥えると、勢いよく吸い込む。