指輪を外したら、さようなら。
「この服は、あきらと龍也が買ってくれたのだから、未来が気に入ってるの。だから、あんなに怒ったってだけ」
顔を上げてそう言うと、比呂が面白くなさそうに唇を尖らせた。
「俺が買ってやった服は、アイスを落としても泣かなかったのに」
さなえが、旦那が一番手のかかる大きな子供だと言うのも頷ける。
「パパは赤とかピンクとかフリフリしたのばっかり着せたがるから」
今、未来が来ているのは、スモーキーピンクのロンTに、デニムのオーバーオール。
ゴールデンウイークに会った時に、あきらと龍也がプレゼントしてくれた服。
「可愛いのに」
「そうね」
「大ちゃん!」
未来が通りを指さして、叫んだ。
今にも走り出しそうな未来の腰を抱いて、公園の角を曲がって来たバスが完全に停車するのを待つ。停車位置には、既に三人の母親がバスを待ち構えていた。
「ママ! 放して!」
「未来、走っちゃダメ」
「大ちゃん!」
「わかってるから」
比呂が未来を抱き上げる。腕から身体を乗り出して前のめりになる未来を抱き直す。
私は小走りで二人を越して、バスに向かった。
「ただいま帰りましたぁ」
ピンクのエプロンをした二十代後半の先生が、軽やかにバスのステップを降りてくる。
続いて、中から園児たちが降りて来た。
「せんせー、さよーなら!」
「はい、さようなら」
年少さんの三人の後、一番最後に大斗がいた。前の三人よりも、頭一つ分大きくて、黄色い幼稚園帽子が窮屈そう。
「ありがとうございました」と、運転手さんにお礼を言って、ゆっくりとステップを降りる。
「先生、さようなら」
「大斗くん、また明日」
先生は園児たちに手を振って、再びバスに乗り込む。そして、次のバス停に向けて発車した。
「大ちゃん!」
「ただいま、未来」
「おかーりぃ」
比呂に抱かれていた未来が、じたばたしながら大斗に向けて両手を広げる。
「こら、危ないから――」
「――未来、危ないよ」
鶴の一声で、未来が手も身体もひっこめた。
「パパ、おろちて!」
「けど――」
「――降ろして大丈夫」
私の言葉に、比呂が渋々未来を降ろす。
自由になった未来に、大斗が右手を差し出した。未来が、その手に飛びつく。
「走っちゃダメだよ?」
「うん!」
娘が自分ではない男の子に手を引かれて歩く後姿を眺め、比呂が深いため息をついた。
「俺より大斗かよ」
「幼稚園児相手に妬かないの」
「妬いてねーよ」
これは、未来の夢が大斗のお嫁さんになることだってことは、黙ってた方がいいな。
「俺より勇斗の方が妬くんじゃねーのか? 兄ちゃん、未来に取られて」
「残念。勇斗は大斗に妬いてるの」
「なんで?」
「未来が好きだからに決まってるでしょう?」
「二歳で三角関係かよ!?」
私は比呂の肩をグーパンした。
「大和んところ、次も男だろ? 三兄弟で未来を取り合うとか、昼ドラの世界だな」
今は昼ドラとかないし、と心の中で突っ込みながら、私はふふっと笑った。
「取り合うのは未来だけじゃないかもよ?」
「ん?」
頭上から下りてきた比呂の視線に気づきながら、わざと両手で自分のお腹を擦って見せた。
「え!? え!!? マジで?!」
「うちはどっちかしらね?」
「マジで?!」
「まだ病院には行ってないけど、多分ね」
見上げると、比呂が目を細めて笑っていた。
「そっか、そっかぁ……」
比呂が足を止め、一瞬だけ私を抱き締めた。すぐに身体を離し、私の肩にかかっているバッグを奪う。
「帯広のサクサ○パイ、食いてぇな」
「そうね。安定期に入ったら、行こうか」
きっと、こうして私たちは折に触れて帯広を訪れるだろう。
サク○クパイを食べて、幸せを噛みしめて、これからも同じ景色を見続けるのだろう。
だって、私たちは指輪を外さないから――。
--- END ---