指輪を外したら、さようなら。
 当たり前だが、千尋からの着信もメッセージもない。



 ――というか、これまでもない。



 連絡するのはいつも、俺から。

「さ! 行くわよ」

 部屋を出た瞬間、美幸の表情が変わった。

 夫を裏切った悪魔のような女から、夫に寄り添い穏やかに微笑む妻へ。

 千尋の声が聞きたい。

 裏表のない、千尋の本音が聞きたい。

「あなたたちは、まだ子供は作らないの?」

 挙式と披露宴の合間に、お義母さんが聞いた。俺の両親もいる場で。

 美幸の妹は、いわゆるデキ婚。

 俺の母親から結婚式のことで電話があった時、同じように子供はまだかと聞かれた。妹が先に母親になることが、美幸の両親は少し心配らしい。

「子供は考えていません」

 俺は、言った。

 美幸が適当なことを言う前に。

「そうなの?」

 その場の誰もが、驚いたようだ。

 美幸だけが、ジロリと俺を睨みつけている。



 化けの皮が剥がれかかってるぞ。



 俺は心の中で、フッと笑った。

「今は、ってことでしょう?」と、俺の母親がフォローする。

 そうなると、俺はそれ以上言えない。

 何も知らない両親を悲しませたくはない。

「お互いに仕事が楽しいので」と、美幸が便乗した。

「そうなの。でも、仕事は子育ての後でも出来るんだし、出来るだけ若いうちに産んだ方がいいわよ」

 美幸は三十四歳。

 子供を産む年齢としては、もう若いとは言えない。

「わかってる。ちゃんと比呂と考えてるから」

 美幸の面の皮の厚さには、吐き気がする。

 結婚した時から、折に触れて子供のことは言われていたが、二年前までは本当に、流れに任せて出来たらいいと思っていた。

 だから、嬉しかった。

 本当に、嬉しかったんだ。



 美幸が妊娠したと聞いた時は――。



 四年前。

 俺と美幸もこんな風に結婚式を挙げた。

 俺たちは両親の紹介で知り合った。両親の顔を立てるために何度か会うようになり、特に付き合わない理由もないからと、付き合い始めた。

 結婚を急ぐつもりはなかったけれど、忙しい仕事の合間に会う手間を省くように一緒に暮らし始め、それが割としっくりきて、結婚することになった。

 美幸は同業者で話も合ったし、料理も上手かった。俺も一人暮らしが長かったから家事は一通り出来たし、協力し合えていたと思う。

 セックスに関しては、美幸は淡泊な方だった。あの頃の俺も、そう。

 だから、美幸が妊娠した時は、思わず『いつデキた?』と考えたくらい。

 美幸は生理不順だったから、妊娠がわかった時には既に四か月に入っていた。それで、納得した。その頃の俺と美幸の生活はすれ違っていて、最後にセックスしたのが三か月以上前だったから。

 俺は舞い上がって、より一層仕事を頑張った。

 美幸も喜んでいたけれど、三十を過ぎての初産な上に、元々生理不順で子供が出来にくいかもしれないと診断を受けていたこともあって、安定期に入るまでは両親にも職場にも知らせたくないと言った。俺が反対する理由はなかった。

 一か月後。美幸の予感が的中し、流産した。
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