指輪を外したら、さようなら。
病院に駆け付けた俺は、医師の言葉に愕然とした。
『妊娠十三週。女のお子さんでした』
間違いじゃないかと聞きたかった。が、聞かなかった。
医師から渡された母子手帳に、はっきりと書かれていたから。
子供は、俺の子供じゃなかった。
美幸には結婚前から付き合っている男がいた。その男には妻と子供がいて、結婚は望めなかった。けれど、美幸はその男の子供が欲しかった。
だから、俺と結婚した。
最初から、美幸にとって俺は愛する男の子供を育てるための隠れ蓑だった。
翌日、俺は美幸に記入済みの離婚届を渡した。が、美幸は俺の目の前で破り捨てた。
『両親を悲しませる必要はないわ。あなたはあなたで自由に遊んでいいのよ』と言って。
一時間後。
俺は家を出た。
「いい加減、俺を解放してくれ」
結婚式の後、部屋に戻った俺は言った。美幸はバスローブ姿でスマホを弄っていた。
「こんな茶番に付き合わされるのは、うんざりだ」
「どんな女性?」
「は?」
「付き合ってる女性がいるんでしょ?」と、美幸はスマホから目を離すこともなく、聞く。
「お前には――」
「適当に遊んでるだけ? あなた、モテるものね」
「ふざけるな!」
仮にも一度は愛して結婚した女が、スマホを弄りながら愛人について聞いてくるなんて、異様だ。『ランチは何を食べたの?』とでも聞いているよう。
「不倫相手と別れる気はない。だが、離婚もしない。そんな身勝手が許されると思っているのか!」
流産したのが俺の子供じゃないと分かった時、泣いて謝りでもされたらここまでこじれなかったろう。結果的にはやはり離婚だろうが。
だが、美幸は悪びれもせず、不倫相手とは絶対に別れないと言った。
それどころか、相手の男を『浮気相手』と言った俺に、『浮気相手はあなたよ。彼をそんな安っぽい呼び方しないで』とまで言った。
美幸が男なら、間違いなく殴っていた。
「大体、このままダブル不倫なんて続けて、お前と相手の男に未来なんてないだろ」と、俺は前髪を掻き上げた。
「……そうね」
「わかってるなら――」
「私たち、身体の相性は良かったわよね」
「は?」
ようやく美幸がスマホから目を離した。
「誰でも良かったわけじゃないわ。結構好きだったのよ? 比呂のこと」
「『結構』好き『だった』ねぇ。そんな風に言われて、喜ぶ男がいると思うか? 少なくとも、俺はお前とのセックスなんて微塵も思い出せないけどな」
「やっぱり、忘れさせてくれる女性がいるんだ」
スマホをベッドに置き去りにして、美幸が立ち上がった。
行動は予測できる。
俺を懐柔して、婚姻関係を継続させようというのだろう。
美幸の目がそう言っている。
案の定、美幸は俺の足の間に膝をつき、肩に手をのせた。
美幸の長く真っ直ぐな髪が頬に触れた。
千尋の髪は肩までの長さで、少し畝っている。俺は可愛いと思うが、千尋は毎朝ヘアアイロンで真っ直ぐにしていた。だから、知っているのは俺だけ。
千尋の髪が畝っているのも、その畝りは柔らかく、俺の指に優しく絡むのも。
知っているのは、俺だけ。
千尋を抱き締めたい。
俺は美幸の手を払い除けた。