指輪を外したら、さようなら。
翌週も、美幸は来た。
美幸の職場は俺の会社とは電車で四駅の場所。昼休憩の少し前に来て、休憩が終わってから帰って行く。こう毎日仕事を抜けられるはずがない。
「仕事、どうしてるんだ」
七回目のランチの時、聞いた。
「気にしてくれてるの?」と、美幸は俺の嫌いな自信満々の笑みで聞き返した。
「単純な疑問だ」
「フリーで仕事してるの」
「フリー?」
「前の事務所が経営悪化で人員整理する時に、フリーの契約をして辞めたの。その時の伝手で他の事務所からも仕事貰ったりして。収入は減ったけど、自分のペースで仕事ができるから、楽よ」
「いつでも男と会えるしな」
「……そうね」
美幸はフフフッと笑った。
うんざりだ。
こうして一緒に飯を食う時間は、俺にとっては拷問のようで、とにかくツライ。
「美幸」
「なに?」
「離婚してくれ」
「嫌よ」
もう、潮時なのかもしれない。
裁判でも何でもして、離婚しよう。
千尋とのことは、その後で考えたらいい。
「比呂」
「なんだ」
「私、彼を愛してるの」
呆れた。
夫に、他の男への愛を告白するなんて、どうかしている。
「他の誰を犠牲にしても、そばにいたいの」
その犠牲者が、俺――か。
「結婚出来なくても、いいの」
要するに、男は離婚して美幸と結婚しようと思うほど本気ではないってことだろ。
「一緒にいるためなら、何でもするわ」
何でも――。
「だから、離婚は出来ない」
フッ、と頭の靄が晴れた。
千尋と一緒にいるために、俺が出来ること――。
「美幸」
「なに?」
「もう来るな」
「比呂」
「離婚は諦めてやる。だから、もう来るな」
俺は五千円札をテーブルに置き、立ち上がった。
「二度と、来るな」
俺は振り返らず、店を出た。
美幸への怒りや憎しみは消えない。散々振り回されて、うんざりだ。
同じ籍に入っているのも、嫌だ。
だが、美幸が本気で相手の男を愛しているのはわかる。
その男と一緒にいるために、何でもするという気持ちも。
そうだ。
もともと、歪んだ関係だ。
『結婚』なんて正攻法で軌道修正しようとしても、過去は変わらない。
なら、歪んだ未来を行くしかない――。
俺の覚悟は決まった。
千尋のそばにいるためなら、何だってやってやる――――!
「千尋」
その夜、俺は千尋の家を訪ねた。
おむすびの代わりに旅行用のキャリーバッグを持って。
「どっか行くの?」
キャリーバッグは美幸と新婚旅行に行く時に買ったもので、スーツ三着とワイシャツと靴下とパンツが五枚ずつ、Tシャツにジーンズやなんかも余裕で入った。
「それは、お前次第だよ」
「はぁ?」
キャリーバッグを玄関に置き、千尋の手を引いてリビングに入った。彼女をソファに座らせる。
「俺たちの関係は、俺の離婚が成立するまで」
俺は左手で千尋の頬に触れた。
「それがお前のルールだな?」
千尋が頷く。
「ルールに補足したい」
「え?」
「俺の離婚が成立するまで、俺とお前は別れない。絶対に」
「なに、それ」
「承諾してくれたら、もう結婚をせがまない」
千尋の瞳が、揺れた。
それが、安堵なのか動揺なのかは、わからない。
「俺の離婚が成立するまででいいから、俺だけのものでいてくれ――」
千尋が、小さく頷いた。