指輪を外したら、さようなら。
9.面倒臭い快感
黙っていても、どうせバレる。
そんな気がした。
私は出張から帰った比呂に、奥さんが訪ねて来たことを話した。が、彼女の捨て台詞だけは言えなかった。
「夫の愛人がどんな女か見に来たみたい」
「なんで――」
「愛人に興味を持つ程度には、比呂を好きなんじゃない?」
「全然面白くない冗談だな」
冗談のつもりはないんだけど……。
比呂は苦虫を噛み潰したように顔を歪ませ、どさっとソファに身体を投げた。
「はぁぁぁ……。なんなんだよ、一体」
本当に、嫌で嫌でたまらないらしい。
離婚の条件が私と別れることだなんて知ったら……。
言えるはずがなかった。
比呂が望むのは、二つ。
離婚の成立と私との結婚。
けれど、奥さんが離婚届にサインする時は、私が比呂の前から消えた時。
まぁ、私に結婚の意思がない以上、離婚が成立しようがしまいが比呂の望みは叶わないんだけど……。
考え込んでいたら、手首を掴まれて引き寄せられた。彼の膝の間に私の膝が差し込まれる。
比呂は私の腰を両腕で抱き、お腹に顔を押し付けた。
「興味半分脅し半分、てとこか?」
「……多分」
「別居生活を楽しんでるのが気に食わないだけだろ」
「……かも」
ぐりぐりと私のお腹に顔を擦りつける。
「なんか……酷いこと言われたか?」
「……別に」
そもそも、愛人が妻と対面すること自体が、酷いこと。何を言われても、文句は言えない状況だ。だが、私は愛人らしからぬ態度で、愛人らしからぬ発言をしてしまった。
『面白い』なんて笑われたくらいだ。
自分の神経の図太さと言うか、胆の座りっぷりに驚いたくらいだ。
「千尋――」
「――謝るとか、やめてよ」
比呂の言葉を遮った。
私は指に彼の髪を絡めて、撫でた。
「俺の妻が申し訳なかった、なんて言ったら、本気で食い千切ってやる」
「――言わないから、舐めて」
「いい度胸ね」
「出張中、触れなかったから」と、比呂が呟いた。
「溜まり過ぎて、ヤバい」
「高校生か」
「制服でセックス、いいな」
「変態」
「千尋の制服ってセーラー? ブレザー?」
そう言いながら、比呂は顔を上げて服越しに私の胸にキスをする。手はお尻を撫で回されて、くすぐったい。
「変態」と、もう一度言う。
「制服着てた頃の千尋と出会いたかったって話だろ」
俗に言う金魚がエサを食べる時のように、比呂が口をパクパクさせて私の胸を甘噛みする。
「脱がせるために?」
「……着たままのが興奮しそう」
「やっぱり変態じゃない!」
「男はみんな変態なんだよ」
私を見下ろす彼の瞳の奥に炎が見えた。欲情の炎。
比呂がどれだけ私を欲していたか、どれだけ我慢していたか、わかった。
「泊ったホテルで――」と言うと、比呂はごくりと唾を飲んだ。
「お前に似た後姿を見つけたんだ。そしたら、もう――会いたくてたまんなくなって……」
肩で大きく息をする。
「寂しかった?」
「千尋は……?」
「全然?」
「俺のパーカー、着てたくせに?」
比呂がニッと片方の口の端を上げて笑う。
「出かける時にハンガーに掛けておいたのに、なんでベッドの上にあった?」
「……ハンガーから落ちたんじゃない?」
可愛くないことを言った。
比呂のいないふた晩、彼のパーカーを着て眠った。比呂に抱き締められているようで安心できたなんて、恥ずかしすぎて言えない。
「素直じゃねーな」
比呂がハハッと笑う。
「そこが可愛いんだけど」
「変態!」
「愛しい恋人にそんなん言うなら、土産やんねーぞ?」
「誰が愛しい恋人よ」
「言ったろ? 俺と面倒臭い恋愛しよう、って!」
ゆっくりと、優しく唇が重なり、どちらからともなく差し出した舌が絡み合い、私は比呂の首に腕を絡めて、もっともっととせがんだ。
比呂も私の肩をしっかりと抱いて、ぎこちなく腰を揺り動かした。
唇がふやけるまで、キスをした。