指輪を外したら、さようなら。
俺の言葉が意外だったようで、越野さんはペンを止めて顔を上げた。
当然の反応だろう。
こんな状況、おかしすぎる。
「バカげてますよね。ですが、なりふり構っていられないので」
「――それほど、離婚したい、ということですか」
「はい」
「失礼ですが、二年の別居中に調査を依頼なさらなかったのはなぜですか?」
「どうしてでしょう。現実を見たくなかったからですかね。妻と相手の関係は、俺との結婚前からだったようです。要するに、俺は当て馬だった。本当に好きな相手とは結婚出来ないけど、家族を安心させてやりたいから、みたいな理由だったようです。情けなさすぎて、逃げていたんだと思います」
自分のことなのに、一切の感情抜きで業務報告のように説明している自分に驚いた。
俺はここまで吹っ切れているのか、と。
「それが、今になって行動を起こされたのはなぜですか?」
「結婚したい女性がいるんです。彼女にせがまれたわけではなく、俺が彼女との結婚を強く望んでいるんです。だから、一刻も早く離婚したい」
越野さんが再びペンを走らせる。
どう書かれているのだろうか?
『依頼人にも女あり』とか『W不倫』とか書かれていたら嫌だな、と思った。
事実だから、仕方がないが。
「では、有川さんが相手の男性に対して、暴力行為や脅迫のような事件性のある行動に出ることはない、ですね?」
「ありません」
俺は、ハッキリと言いきった。
『離婚して美幸と結婚してやってくれ。そうすれば俺も千尋と結婚できるんだ!』と泣いて縋ることはあっても、美幸との関係をなじるようなことはない。
それは、断言できる。
越野さんのペンが進んでいるようなので、俺は目の前の湯呑みに手を伸ばした。
事務員であろう女性が淹れてくれた、緑茶。ちょっと、ぬるくて、渋い。
「わかりました。ご依頼をお受けします」
越野さんがボードを伏せてテーブルに置き、湯呑みを手に取った。一口飲んで、眉を顰め、湯呑みを置く。彼も渋いと感じたらしい。
「契約書を作成するので、少しお時間を頂きます。詳しい聞き取りの前に、コーヒーを淹れてきますのでお待ちください」
そう言うと、越野さんはボードを持って立ち上がった。
それから、一時間。
自分のことや美幸のことを話し、料金の説明を受け、タイプされた契約書に判を押し、クレジットカードで着手金を支払うまでに、コーヒーを三杯とクッキーを五枚食べた。
事務所を出て、一階の花屋で小さなアレンジを買い、意気揚々と千尋の元へと帰った。