指輪を外したら、さようなら。
白のハイネックのニットにグレーのジャケット。きちんと隠されていると、それはそれでそそられる。
「買い物、俺も付き合ってやるよ」
ついでに、エロい下着なんかも買ってやろうと思った。
「ご遠慮いたします」
「いやいや。こうなった責任を取って、是非とも――」
「――責任感じてるなら、セックスなしで!」
「むーりー」
そんな会話をしているうちに、気づけば目的地に到着していた。
顧客について、何の話もしないまま。
「ホテル!?」
「ああ。顧客の職場だ」
『HOTEL NEW LIBBER』は、北海道では名の知れたビジネスホテル。最近では、上層階をスイートルームに改築したりして、高級志向を目指している。打ち合わせに指定された『HOTEL NEW LIBBER THE・TOWER』は、昨年完成、オープンしたばかりで、『Empire HOTEL』を意識した高級、高層ホテル。
「泊まりはキツイけど、飯くらいなら食えそうじゃね?」
「無理ね。札幌最高峰を目指しているらしいから、最安値のコースでも一万五千円だってよ?」
ほんの二十分前に思い立ったから、料金は調べていなくて驚いた。
「マジで!? ってか、詳しいな」
「陸が言ってた。Empire HOTELの支配人だからね」
「陸って、インテリ? マジでインテリか。Empire HOTELのスイートルームに半額で泊まらせてくれたりしないか?」
「しません!」
「ちぇー」
ホテルの地下駐車場は、ご丁寧に宿泊客用と食事客用、仕事用の駐車スペースが分けられていて、俺は仕事用の駐車スペースに入れた。すぐさま係員がやって来て、会社名と用件を聞かれた。
「副社長の大河内亘様と四時にお約束しています」
「承っております。こちらのカードをお持ちください」と言って、駐車スペースの番号が書かれたシルバーのカードを渡された。
「お帰りの際にカードをご返却ください」
「わかりました」
係員が会釈して立ち去ると、俺はカードを彼女の目の前に差し出した。
「高級ホテルは駐車カードもご立派だねぇ」
だが、千尋はカードには目もくれず、俯いてシートベルトを握り締めている。
「千尋?」
「客って……大河内亘?」
「え? ああ、そう。THE・TOWERが出来た時に副社長に就任した社長の息子の大河内亘。結婚するからって、新居を建てるんだと」
「そ……う」
急にテンションが低くなり、というか、真っ青な顔で俯く千尋は明らかに様子がおかしい。
「どうした?」
「同席……しているだけでいいのよね」
「ああ」
「わかった」
「おい? どうした?」
ぎゅっと目を瞑り、それから目を開けて、千尋はようやく顔を上げた。
「早く、終わらせよう」
「は?」
千尋はシートベルトを外すと、ちゃっちゃと降りて、後部座席のバッグを抱えた。
「早く終わらせて、ご飯食べに行こう」
仕事に真面目な千尋が、お客様との打ち合わせを『早く終わらせる』などと言うはずがないとわかってた。なのに、俺はそれを気に留めなかった。打ち合わせの時間は迫っていたし、彼女が食事をOKしてくれたのもあって、考えが及ばなかった。
俺はそれを、死ぬほど後悔することになる。