さつきの花が咲く夜に
「満くん、変わったね」
そんなことを思いながらぼそりと言うと、
妹崎は「そうか?」と片眉を上げる。
『満くん』と呼べない代わりに『満くん、
変わったね』というのが、ここ最近の満留の
口癖となっていた。
「そんなことより……」
抽出が終わって、濃褐色の液体がゆらりと
揺れるクリアガラスのコーヒーサーバーから
妹崎がドリッパーを外す。それを流しに置い
た彼を、満留は首を傾げるようにして見た。
「もう、あの中庭には行ってへんよな?」
顔を覗き込むようにしてそう訊いた妹崎に、
満留は「はい」と頷く。すると、妹崎はほっ
としたように息をつき、流しの縁に腰を
預けた。
「あの……そんなに心配ですか?」
妹崎の正体が満なのだとわかったあの夜に、
もう二度と中庭に足を踏み入れないようにと
釘を刺されていた満留は、それでもあの中庭
で昼休憩をとる職員や散歩をする患者を見る
につけ、そこまで怖がることはないのでは?
と思ってしまう。その思いがそのまま顔に出
てしまったのだろう。妹崎はガリガリと頭を
掻くと、思いきり眉根を寄せた。
「当たり前や。知らんうちにまたどっかに
飛ばされたらどないするん?行ったっきり、
満留が帰って来られんようになったらかな
わんわ」
真剣な目をしてそう言うと、妹崎は満留の
手を取って引き寄せる。彼に引かれるままに、
一歩二歩と近づいた満留は、妹崎の足の間に
立つ形で正面に立った。見上げれば、あまり
にも近くに、彼の顔がある。満留はどきどき
と鼓動が早なって、顔が熱くなるのを感じた。
「頼むから、もう行かんといて。約束やで」
諭すように低い声が聞こえて、満留はぎこ
ちなく頷きながらも、ふい、と目を逸らす。
距離が近すぎてどこに目をやればいいかわ
からず、泳ぎに泳いだ視線は数式や何かの図
が書き込まれた、ホワイトボードを捉えた。
「でも、不思議ですよね。秒速三十万キロ
の乗り物に乗ったわけでもないのに、どうし
て十七年も前にタイムスリップしてしまった
んでしょう?」
いつか妹崎が話してくれた特殊相対性理論
とやらを思い出しながら言うと、妹崎が「お」
と、嬉しそうに声を漏らす。
「憶えとったんか。せやな、時間の伸び縮
みを原理に考えた特殊相対性理論よりも、
重力の正体は『時空の曲がり』やっちゅうこ
とを提唱した一般相対性理論の方が、説明が
つくかもわからんな」
「時空の曲がり?」
またまた、小難しい話を始めた妹崎に満留
は目を見開く。妹崎は、にぃ、と、得意げに
頷くと話を続けた。