さつきの花が咲く夜に
 「実はね、私もお母さんがここの病院に
入院してるの。だから、私がこの中庭にいる
理由もあなたと同じ。ここは自然がたくさん
で、静かで、人目を気にせずにいられるから。
どうしても泣きたくて我慢できない時は、ここ
で泣いてからお母さんのところに戻ってるの。
一人になれる場所って案外少ないから、こうい
う場所があると嬉しいんだ。だから、お化けく
らい怖くないやって思ってたんだけど……後ろ
から笑い声が聞こえた時はちょっと怖かった」

 そう言って、ふふ、と肩を竦めると、男の子
もつられたように白い歯を見せる。ここで一人
涙することがあるなんて、本当なら初対面の人
に言えるようなことではなかったけれど、似た
ような悲しみを抱えている彼になら、話しても
笑われない気がした。

 満留は小さく息を吐くと、姿勢を正した。

 「私、桜井満留っていいます。満天の満に、
留まるの留で『まる』。あなたのお名前、聞い
てもいいですか?」

 いまさらながら敬語で自己紹介を始めると、
彼は僅かに目を見開いた。

 「俺は、(みつる)。満留さんと同じ字だよ」

 「本当に?すごい偶然!満くんかぁ。私の
名前ね、お父さんが付けてくれたの。満ち足
りた幸せが留まるように、って願いを込めて
付けてくれたんだって」

 「へぇ、そうなんだ。いいお父さんだな」

 「うん。って言っても、私が生まれる前に
死んじゃったから、お父さんの顔は写真でし
か知らないんだけどね。でも、お父さんがく
れた名前なんだって思うと、いつも守られて
いるような気がするんだ」

 同じ「満」という字が名前だと知って、
余計に親近感が湧いてくる。けれど、そろそ
ろ病院に戻らなければならない。回した洗濯
機が止まっている頃だし、あまり遅くなると
母も心配するだろう。

 満留は名残惜しい気がしながらも、ベンチ
から腰を上げた。

 「そろそろ戻らなきゃ。お母さんが待って
るし、明日も仕事だし」

 そう言って、ぱん、とスカートを叩くと、
満が「仕事???」と怪訝な顔をした。

 「うん。私ね、そこの大学の教務課で働い
てるの。お母さんが入院してからは、大学と
病院を毎日往復してるんだ」

 だだっ広い敷地の向こうにある大学の方を
見ながら言うと、「もしかして」という声が
聞こえて満留は満を向く。彼は戸惑ったよう
に眉を顰めて、片手で口を塞いでいた。

 「もしかして、満留さんって社会人?」

 「そうだよ。今年で社会人四年目」

 「ええっ!じゃあ、年上!?俺、てっきり
同じくらいかと……」

 そこまで言って、しまった、という顔を
して満が口を噤む。満留は、「ああ、またか」
と内心、肩を落としながら口を尖らせた。
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