さつきの花が咲く夜に
もうすっかり慣れっことは言え、立派な
大人なのに学生に間違えられると、ちょっと
傷ついてしまう。実年齢よりもかなり若く見
られる原因は、百五十センチに二センチ足り
ない身長と、四十キロに満たない小柄な体格。
そして童顔と言わざる負えない見た目が、
幼い印象を相手に与えてしまうのだろう。
黒目の大きいくりっとした目は、良く言え
ば『つぶらな瞳』と言えるかも知れないけれ
ど、その表現は子供や赤ん坊に使われること
が多いことも、満留は知っている。
「これから年を重ねれば、若く見られるの
が嬉しくなるわよ」
と、母は呑気に笑って言うけれど……。
満留はすらりと背の高い、大人びた女性に
憧れてしまうのだった。
「なんか、ごめん」
満留が気を悪くしたと思ったのだろうか。
ベンチから立ち上がると、満は頭を下げた。
「俺、てっきり同じくらいかと思ってたか
ら、いきなりタメ語で喋ってたし」
申し訳なさそうにそう言った満を見上げる
と、満留は慌てて顔の前で手を振った。
「そんな、謝るほどのことじゃ……私も、
年下だと思って途中から敬語じゃなかったし。
私こそ、ごめんなさい」
互いに謝りあって、何だか可笑しくなる。
二人は顔を見合わせると、「ぷっ」と吹き
出した。
「私ね、こう見えても二十六なの。満くん
は?」
和やかな空気が流れたところで、ネタばら
しのように満留が齢を言うと、彼はやはり
少し驚いた顔をした。
「俺は十七。高三」
「うわっ、若い。九歳も違うんだ」
「だな」
「でも、話せて嬉しかったよ。パンもすご
く美味しかったし。ごちそうさまでした」
困ったように笑っていた満にぺこりと頭を
下げると、満留はひらりと手を振って
「じゃあ」と背を向けた。
その背中に、「おやすみ」と声が飛んでくる。
満留は一度振り返ると、「おやすみなさい」
と目を細め、母の待つ病室へと戻って行った。
――翌日。
或いは、また満に会えるかも知れないと思
いながら過ごす一日は、少しだけ時間の流れ
が遅かった。
「じゃあ、お先に失礼します」
いつものように仕事を終えると、満留は教
務課の仲間に挨拶をして足早に病院へ向かった。
冥色に染まり始めた空の下を歩いてゆくと、
満とそう齢の変わらない学生たちが、やはり
肩を並べ自転車で通り過ぎてゆく。遠ざかっ
ていく二つの背中を見つめていると、昨夜、
困ったように笑った満の顔が思い起こされて、
途中、中庭を覗いてみたいような気がしてし
まった。
けれど、そこへは立ち寄らず満留は真っ直
ぐ母の元へと帰って行く。朝ごはんも味噌汁
を半分飲んだだけの母親は、きっと、昼ごは
んも碌に口にしていないのだろう。だから、
少しでもあれを飲ませてたんぱく質を摂らせ
ないと……。満留はカツカツと、慣れた足取
りで院内を進んでゆくと、エレベーターのボ
タンを押し、点滅するランプを眺めた。
大人なのに学生に間違えられると、ちょっと
傷ついてしまう。実年齢よりもかなり若く見
られる原因は、百五十センチに二センチ足り
ない身長と、四十キロに満たない小柄な体格。
そして童顔と言わざる負えない見た目が、
幼い印象を相手に与えてしまうのだろう。
黒目の大きいくりっとした目は、良く言え
ば『つぶらな瞳』と言えるかも知れないけれ
ど、その表現は子供や赤ん坊に使われること
が多いことも、満留は知っている。
「これから年を重ねれば、若く見られるの
が嬉しくなるわよ」
と、母は呑気に笑って言うけれど……。
満留はすらりと背の高い、大人びた女性に
憧れてしまうのだった。
「なんか、ごめん」
満留が気を悪くしたと思ったのだろうか。
ベンチから立ち上がると、満は頭を下げた。
「俺、てっきり同じくらいかと思ってたか
ら、いきなりタメ語で喋ってたし」
申し訳なさそうにそう言った満を見上げる
と、満留は慌てて顔の前で手を振った。
「そんな、謝るほどのことじゃ……私も、
年下だと思って途中から敬語じゃなかったし。
私こそ、ごめんなさい」
互いに謝りあって、何だか可笑しくなる。
二人は顔を見合わせると、「ぷっ」と吹き
出した。
「私ね、こう見えても二十六なの。満くん
は?」
和やかな空気が流れたところで、ネタばら
しのように満留が齢を言うと、彼はやはり
少し驚いた顔をした。
「俺は十七。高三」
「うわっ、若い。九歳も違うんだ」
「だな」
「でも、話せて嬉しかったよ。パンもすご
く美味しかったし。ごちそうさまでした」
困ったように笑っていた満にぺこりと頭を
下げると、満留はひらりと手を振って
「じゃあ」と背を向けた。
その背中に、「おやすみ」と声が飛んでくる。
満留は一度振り返ると、「おやすみなさい」
と目を細め、母の待つ病室へと戻って行った。
――翌日。
或いは、また満に会えるかも知れないと思
いながら過ごす一日は、少しだけ時間の流れ
が遅かった。
「じゃあ、お先に失礼します」
いつものように仕事を終えると、満留は教
務課の仲間に挨拶をして足早に病院へ向かった。
冥色に染まり始めた空の下を歩いてゆくと、
満とそう齢の変わらない学生たちが、やはり
肩を並べ自転車で通り過ぎてゆく。遠ざかっ
ていく二つの背中を見つめていると、昨夜、
困ったように笑った満の顔が思い起こされて、
途中、中庭を覗いてみたいような気がしてし
まった。
けれど、そこへは立ち寄らず満留は真っ直
ぐ母の元へと帰って行く。朝ごはんも味噌汁
を半分飲んだだけの母親は、きっと、昼ごは
んも碌に口にしていないのだろう。だから、
少しでもあれを飲ませてたんぱく質を摂らせ
ないと……。満留はカツカツと、慣れた足取
りで院内を進んでゆくと、エレベーターのボ
タンを押し、点滅するランプを眺めた。