さつきの花が咲く夜に
洗濯機のスタートボタンを押し、ホワイト
ボードに部屋番号を書き込むと、満留は今日
も中庭へ足を向けた。
が、病院を出てタイル張りの通路を歩き始
めた足は、異様に重かった。無意識のうちに
視線は下がり、ついつい履き古したパンプス
の先を目で追ってしまう。結局、母は今日も
三口飲んだだけでやめてしまったのだ。
「お母さん、美味しくないの?」
大豆パウダーと豆乳をよくシェイクしたそ
れは、少し淡々しているけれど、粉っぽさは
ないはずだった。シェーカーの中に残る乳白
色のそれと母を交互に見つめながら、満留は
落胆した顔をした。
「美味しいんだけどね……いまはちょっと
喉を通らないのよ。また明日飲むから……
冷蔵庫に入れておいてくれる?」
途切れ途切れにそう言った母は、息苦しそ
うにも見えて、満留はどうすればいいかわか
らなくなってしまう。緊急入院したその日に、
胸腔に溜まっていた水は針で抜いてもらった
のだけど……。また少しずつ溜まっているの
だろうか?そんな不安に、胸の内がざわざわ
と騒ぎ出して落ち着かない。満留は残った
それを流しに捨てると、「洗濯してくるね」
と言い置いて病室を出たのだった。
ほぅ、と細く長く息をつく。
何も出来なくてもいいから傍にいたいと
思ったのに、こうして弱ってゆく母を傍で
見ながら、何も出来ない自分が本当に情け
ない。情けなくて、苛立たしくて、なのに
胸に溜まってゆく黒い塊を吐き出せないよ
うなこの感覚は、母の病が進行し始めた時
からずっと続いていた。
そうして、その頃から満留は下を向いて
歩くのが、癖になっていたのだった。
さわ、と微かに夏の匂いが残る風に顔を
上げると、満留は暗がりの中にその人の姿
を探す。
――今日も来ているだろうか?
――来ていなくても、仕方ないけれど……。
無意識のうちに、満に会えることを期待
してしまう自分にそう言い聞かせる。期待
してしまえば、会えなかった時にがっかり
してしまいそうで……だから、木の幹に寄
りかかるようにして背を向けている彼を見
つけた満留は、思わず頬を緩めてしまった。
満留は古い街灯にぼんやりと照らされた
中庭に足を踏み入れると、満に歩み寄った。
そうして声を掛けようとする。
と、満は満留が声を発するより先にこち
らを振り返った。
「そろそろ来る頃だと思った」
どうやら足音で気付いたようだ。
まるで「見つけた」とでも言いたげな顔
をして満留を見上げている。
「こんばんは、満くん。隣、いいかな?」
顔を覗き込むようにしてそう訊ねると、
満は少しだけ座る位置をずらして「どうぞ」
と言った。昨日よりも彼の近くに腰掛ける。
目の前には白い小花が絨毯のように咲き
誇り、季節外れのさつきと生い茂る木々が
味わいのあるコントラストを描いている。