さつきの花が咲く夜に
 「何コレ、すごく美味しい!卵がもっちり
してて濃厚で、ほっぺが落っこちそう」

 感動するままにそう言うと、満は破願した。

 「だろ?それさ、婆ちゃんの十八番なんだ。
小腹が空いた時によく作ってくれた。一度冷
凍した卵を解凍して黄身だけを醤油とみりん
に漬け込むんだ。具にしっかり味が付いてる
から、ご飯はおかかと塩をちょっと入れただ
け。腹が減ってる時に喰うと、すごく旨いん
だ。腹ペコの満留さんにピッタリだと思った
から作ってきた」

 満の説明にうんうん、と頷きながら満留は
ぱくぱくとお握りを頬張る。ころんとしたお
握りは結構な大きさがあるのに、あっという
間に胃の中に落ちてしまった。完食すると、
満留は満たされた顔でほぅ、とため息をつい
た。そうして、「ごちそうさまでした」と、
両手を合わせた。

 「昨日のカイザーパンといい、今日のお握
りといい、満くんってお料理が上手なんだね」

 美味しいお握りの余韻を味わいたくて、自
分が買ってきたあんパンをそれとなくバッグ
にしまいながら、満留は感心したように言う。

 満は照れたように笑いながら、鼻筋を擦っ
ていた。

 「婆ちゃんが色々作ってくれる人だったか
らさ、傍で見ているうちに覚えちゃったんだ。
今日のコレは、お母さんの看病を頑張ってる
満留さんに喰わせてやりたいと思って急いで
漬け込んだんだけど……上手く出来てたみた
いで良かった」

 そう言ってちらりと満留の顔を覗き見た満
に、満留は複雑な顔をする。『頑張っている
から』と言われれば、自分は何も出来ていな
いのに、と、もどかしさが込み上げてしまう。

 「……満留さん?」

 知らず、俯いてしまった満留の耳に戸惑っ
たような満の声が届く。けれど、満留は俯い
たまま顔を上げられなかった。

 「私ね、何にも出来ないの。何も出来なく
てもいいからお母さんの傍にいたい、って思
って傍にいるんだけど……本当に何も出来な
くて、苦しんでるお母さんをただ見てるだけ
の自分が嫌になっちゃう。だから、頑張れて
ないのにこんな美味しいご褒美もらっちゃっ
ていいのかな?って……」

 こんな風に愚痴をこぼしたりしたら迷惑に
違いない。そう思うのに、堪えていた想いが
溢れて溢れて止まらない。思えば、母が病に
倒れてからずっと、自分は誰にも苦しい胸の
内を打ち明けられないまま過ごして来たのだ。

 自分には母しかいない。
 友人は幾人かいるけれど、こんな重い話を
打ち明けられる友人も、恋人もいなかった。

 だから、肉親を亡くしたばかりの満なら、
この苦しみをわかってくれるかも知れない。
 『幽霊でもいいから会いたい』と言ってい
た満なら、この悲しみを理解できるかも知れ
ない。満留はツンと痛んでしまう鼻先を意識
しながらも、言葉を止められなかった。
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