さつきの花が咲く夜に
 「本当はね、こんな風にお腹を空かせるこ
ともないの。だって、お母さんが残したご飯
を私が食べれば、それで済むことだから……。
でも、お母さんだって本当はお腹が空いてい
て、ただ苦しくて食べられないだけなんだっ
て思うと、自分がそれを食べてお腹いっぱい
になるのが嫌なの。だから、一口も食べてな
いご飯をワゴンに戻して、私はあんパン一つ
で我慢してた。そんなことしても、お母さん
が元気になるわけじゃないけど……お母さん
のために出来ることが私には何もないから。
独りでここにいるとね、『誰か、お母さんを
助けて』って思って涙が出ちゃうんだ。でも、
いつまでも泣いていられないから、お母さん
が待ってるから……少しだけ泣いて、また病
室に戻るの。だけどなんか、満くんがやさし
くしてくれるからかな。ごめんねっ……今日
は涙が止まんない」

 そう言って無理矢理笑おうとした満留の目
から、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。涙で歪ん
だ視界に、きらきらと白い小花が光って揺れ
て、こんな時なのに綺麗だなと思ってしまう。

 ふいに、その視界に空色のハンカチが差し
出されたので、満留はゆっくりと顔を上げた。
満が顔を背けたまま、それを差し出している。

 「別に……泣けばいいよ、好きなだけ。
でも、何も出来ないのは、満留さんだけじゃ
ないから。俺だって、何も出来なかったから。
だから、自分を責めて泣かれると……ちょっ
と辛い」

 受け取ったハンカチは、ほんのりと満の体
温を吸い込んでいて、頬にあてれば微かに彼
の匂いがして、満留は子供のように「うん」
と鼻声で頷く。まさかこんな風に、満の前で
泣くことになるとは思っていなかったけれど、
涙と共に吐き出した胸の内は、やはり、彼に
しっかりと伝わっていて……そのことが信じ
られないほどに心を満たしていた。

 「俺もさ」と、呟くように満が声を発した
ので、満留はすん、と洟をすすり、彼の横顔
を見つめた。

 「ずっと婆ちゃんの傍にいたんだ。満留さ
んみたいに病院に泊まり込んではいなかった
けど、『背中が痛い』って、急に苦しみだした
婆ちゃんを救急車呼んで病院連れてったのも
俺だし、最期まで傍にいて看取ったのも俺だ
った。俺、婆ちゃんに育ててもらったような
もんだからさ。膵がんであっという間にダメ
になって、婆ちゃんがこの世から居なくなっ
た時は正直……自分が生きる意味もわからな
くなるくらい、孤独だったんだ」

 淡々と、夜空を見上げながらそう語った満
の横顔は、風に溶けてしまいそうなほど儚げ
で、満留はどうすればいいかわからなくなる。

 けれど一つだけ、彼の言葉に疑問を感じる
ことがあったので満留は躊躇いがちに訊いた。
< 19 / 106 >

この作品をシェア

pagetop