さつきの花が咲く夜に
第一章:母と娘
学部広報紙の作成を終えたタイミングで、
一日の講義終了を告げるチャイムが軽やかに
校内に鳴り響く。
満留はパソコン作業で凝り固まった肩を
解すようにぐるりと両肩を回すと、天井に
まで伸びるガラス張りの教務課窓口に目を
やった。すでに教室を出て来た学生たちが、
ぽつりぽつりとフロア内を歩き始めている。
肩を並べ、楽しそうにお喋りをしている
女の子たち。その女の子たちに、後から出
て来た男子生徒が親し気に声を掛けている。
ひと昔前までは「男は理系、女は文系」
などと理由もなく分類されたものだが、
いまどきは『リケジョ』と呼ばれる理系
女子が増えたことで、ここ、理学部のある
一般教育棟のフロアでもこういった微笑ま
しい光景が見られるようになった。
満留は通り過ぎる学生たちの姿に目を
細めると、教務課の窓口に立っている男子
生徒に気付き、席を立った。
カララ、とガラス窓口を開け「はい」と
返事をする。すると、男子生徒は前髪をい
じりながら、ボソボソと要件を喋り出した。
「すみません。定期を買いたいので学割
の用紙が欲しいんですけど……」
伸びきった前髪の向こうからそう言って
満留の顔を覗き込む。満留は「学割ですね」
と頷くと、緑色で印刷された『学生生徒旅客
運賃割引証』を差し出した。
「こちらに必要事項を記入して教務課に
提出してください。発効まで一日かかるので、
次の日にまた取りに来てくださいね。それと、
署名欄の捺印を忘れないようにお願いします」
簡単に説明をして用紙を渡すと、ぺこりと
頭を下げて男子生徒が去ってゆく。けれど、
すぐにその後ろに並んでいた生徒が、窓口の
前に立ったので満留は「はい、何でしょう?」
と、にこやかな笑みを向けた。
国立大学の中でも上位クラスに入る、ここ、
京山大学の教務課で満留が働き出してから四
年が経つ。「学生の夢と将来をサポートしたい」
という志もあって、一般的な事務職ではなく
大学職員の道を選んだのだけれど、この仕事は
やりがいがあって、職場は和気あいあいとして
いるので、満留はとても気に入っていた。
それでも教務課の仕事内容は多岐に渡るので、
仕事を覚えるまではそれなりに大変だった。
いまのような学生の応対だけではなく、授業
やイベントの準備、ゼミで使われる備品の管理、
経理関連の書類作成、出席記録の管理、来客の
応対など、教務課の仕事は細かなものまで上げ
ると切りがない。
中には、浮世離れした大学教員の世話……な
どという変わった雑務もあったりするのだけど。
要するに、どんなことも臨機応変に対応でき
なければ大学職員は務まらないのだった。
けれどやはり、残業やノルマがなく、繁忙期
以外は有給もとりやすいので、いまの満留は特
に助かっている。一通り学生の応対を終えると、
窓口のガラス戸を閉め、満留はいそいそと帰宅
の準備を始めた。