さつきの花が咲く夜に
 「……満くん、お父さんとお母さんは?満
くんは、お婆ちゃんと二人で暮らしてたの?」

 彼の話の中に『親』の存在が感じられない
ことが気になっていた。昨日からずっと、満
の口を突いて出るのは『お婆ちゃん』の話ば
かりで……もしそうなら、彼の孤独は計り知
れない。窺うように顔を覗き込んだ満留を向
くと、満は小首を傾げて寂しげに笑った。

 「いや、親はいるよ。でも、同じ屋根の下
に暮らしてるのに、居るんだか居ないんだか、
あの人達のことはよくわからない。ネグレク
トって、言うのかな。けど、生活困らないく
らい金はくれてるから、放任主義って言葉の
方がしっくりくるのかも」

 まるで他人事のようにそう言って、満は肩
を竦める。同じ屋根の下に暮らしていながら
両親の愛情を感じられないなんて……そんな
悲しいことをさらりと話す満に、満留はどん
な言葉を掛ければいいかわからなかった。

 自分は父親がいなかったけれど、いないと
は思えないほど父の存在が心にあったし、母
の深い愛情にいつも満たされていた。だから、
母子家庭だったけれど寂しいと思うことも、
感じることもほとんどなかったのだ。

 結局、「そうなんだ」とあまり意味のない
ひと言を口にして、満留は唇を引き結ぶ。

 「寂しいね」と言っても、「悲しいね」と
言っても、不用意に彼を傷つけてしまいそう
で怖かった。

 満はふと目を細めると、また前を向いて話
し始めた。

 「別に、俺は婆ちゃんさえいてくれればそ
れで良かったし、婆ちゃんもきっと同じだと
思ったから傍についてたんだけどさ。でも、
無力だったよ。俺も結局、何も出来なかった。
唯一、傍にいてよかったと思えたのは早くに
死んだ爺ちゃんの代わりになれたことくらい
かな。婆ちゃんさ、亡くなる三日くらい前か
ら俺のこと『お父さん』って、呼ぶようにな
って……。よっぽど会いたかったんだろうな。
本当は『手を握ってるのは俺だよ』って言い
たかったんだけど、俺、最期まで爺ちゃんの
フリしてた。けど、息を引き取った婆ちゃん
の顔見たら眠ってるみたいに穏やかで、幸せ
そうで、『ああ、ちょっとは役に立てたかな』
って、やっとその時に思えたんだ」

 そこまで言って大きく息を吸い込むと、満
はまるで遠いところから戻ってきたような顔
をして言った。

 「俺はさ、満留さん。何にも出来ないのが
当たり前なんだと思ってる。俺たちは、医者
じゃないし、神様でもないし。人の生き死に
に何か出来ることなんか、あるわけないんだ。
だから、傍にいてあげたいと思う気持ちだけ
で十分じゃないかな?きっとそれだけで、
満留さんのお母さんは幸せなんだと思うよ」
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