さつきの花が咲く夜に
 そう言って笑みを深めた満に、ぽろぽろと
涙を零しながら満留は頷く。やっと止まった
と思っていた涙は、けれど、さっきよりも少
し温かい気がして、満留は借りたハンカチで
それを吸い取った。

 「そうだよね。何も出来ないのが、当たり
前なんだよね。なんか凄いな、満くん。高校
生と思えないくらい達観してる」

 心底そう思いながら言うと、満は照れた顔
をして「そうかな?」と鼻筋を擦った。

 「それを言うなら、満留さんだって二十六
と思えないくらい頼りないって言うか……あ、
ごめん。見た目がじゃなくって、いや、中身
も別に頼りなくはないんだけどさ」

 悪気のないそのひと言に満留が、むぅ、と
口を尖らせると、満はあたふたと発言を訂正
する。けれど本当は気分を害した訳じゃなく、
九つも下の満に図星を刺されたのがちょっと
悔しかっただけで……満留はすぐに「ふふ」
と肩を竦めて笑った。

 「ごめん。怒ってないよ、ぜんぜん。ただ、
満くんの言う通り過ぎて反論できないのがち
ょっと悔しかっただけ。本当はね、お母さん
が頼れるくらい強くなりたいんだけど、あん
まりお母さんがしっかりしてるからかな……
いくつになっても私が甘えるばかりで、成長
できなくて」

 きっと、一生かかっても母を超えることは
出来ないだろうと、満留は信仰のように思う。

 父を亡くした時も、病を告げられた時も、
黒い影が忍び寄るいまだって、母は見ていて
辛くなるほどに強く、悲しくなるほどに潔か
った。だからせめて、母の前では泣かないよ
うにと歯を食いしばっているのだけど……。

 この先も、泣かずにいられるかどうかは、
わからない。

 知らず、自分の不甲斐なさに俯いてしまっ
た満留の耳に、満の声が届いた。

 その声は低く、とてもやわらかだった。

 「あのさ、満留さんが嫌じゃなかったら俺、
明日も明後日もここで待ってるよ。で、腹空
かしてる満留さんに晩飯持ってくる」

 そう言って、ゆっくりと満留を向いた満に
目を見開く。暗がりの中で僅かに口角を上げ
ている彼は、真実、年下とは思えないほど何
かを悟っていて、大人のようにも見えて……。

 だから、満留は悪いと思いながらもつい甘
えたくなってしまう。

 ほんのひと時だけでも、たった数日でも、
この苦しみを彼に受け止めてもらえれば、
不安で破裂してしまいそうなこの胸も少しは
軽くなるだろうか?

 満留は「でも」と満の顔を覗くと、躊躇い
がちに訊いた。

 「そんなの、悪いよ。お喋りだけならとも
かく、ご飯まで気を使ってもらうなんて」

 「いいって別に。もしかしたら俺も小腹空
いて一緒に喰うかも知れないし。それに、さ
っき喰ったお握りの具、まだ冷蔵庫にいくつ
か残ってるんだ。一週間くらいは持つけど、
早く喰わないと味が染みすぎちゃうんだよな」

 最後の方は独り言のように言って、「うん」
と満が頷く。余っているから食べて欲しいと
言うなら、「是非いただきマス」と甘えてしま
いたい。無論、満はその返事を引き出すため
にそう言ってくれているのだろうけど……。
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