さつきの花が咲く夜に
「何だかイメージが湧かなくて。タイムト
ラベルと言えば、映画や漫画の中で主人公が
過去と未来を行ったり来たりする架空の物語、
という風にしか頭に浮かばないんです。だか
ら、その……」
結局、妹崎の顔色を窺いながらも満留は思
ったままを口にする。あくまで作り話だと思
っているから純粋にエンターテイメントとし
て作品を楽しめる訳であって、いつか実現す
るかも知れないなどと思ったら、これからは
おちおち映画を観ることも出来なくなりそう
だった。
妹崎は「せやな、当たり前や」と頷くと、
イレーザーを持ってホワイトボードの中心辺
りを大雑把に消し始めた。そして、マーカー
でそこに何かを書き始める。黙って見ていれ
ばそれはどうやら電車と人のようで、細く長
い長方形に、窓のようなものがいくつか並ん
でいた。雑な絵を描き終えると、妹崎はマー
カーでコンコンとそれを指した。
「せっかくの機会やからな、特別講義や。
あんた、新幹線は乗ったことあるか?」
「えっ?はい、まあ……」
唐突に、目の前で妹崎の講義が始まってし
まい満留は目をシロクロさせる。すっかり忘
れていたが、妹崎は自分の研究に少しでも興
味を示す人間を見つけると、「わかった」と
言うまで長広舌をふるうのだ。それを知って
いるからこそ、いままでそういう素振りを見
せないようにしていたのだけれど。
たったいま、彼の特別講義は始まってしま
った。満留は教壇から「立ちなさい」と指示
された生徒のように、ぴんと背筋を伸ばして
耳を傾けた。
「ええか。信じられへんかも知れんけどな、
高速の乗り物に乗ったことのある人間は知ら
んうちに未来へタイムトラベルしとるんやで」
初めて知る真実に、満留は目を丸くする。
新幹線はたった一度、修学旅行でしか乗っ
たことがなかったが、まさか未来へタイムト
ラベルしているとは夢にも思わなかった。
「それって、どういうことなんですか?」
満留は妹崎の言葉に、目をきらきらとさせ
ながら訊ねた。妹崎は、にぃ、と目を細める。
その時、四時限目の開始を告げるチャイム
が鳴った気がしたが、特別講義は続行された。
「光の速さは秒速三十万キロなんやけどな、
その速度に近づくほど運動する物体の時計の
進み方は遅くなり、物体の長さは進行方向に
短くなるんや。つまり、静止している観測者
と光速で運動している物体の間に誤差が生じ、
物体は縮んで見える。その事象を身近で体験
できるんが新幹線や。仮に、時速三百キロの
新幹線で東京から博多へ移動すると、新幹線
の中はホームに静止している人間より十億分
の一秒だけ時間が送れる。ちゅうことはや、
新幹線の乗客は十億分の一秒だけ未来へ行っ
たことになるんや。この意味わかるか?」
マーカーで新幹線の下に矢印を書き込んで
妹崎が顔を覗く。「わかるか?」と聞かれる
と、「わかりました」とは言えないが、そう
答えなければ話は延々と続いてしまいそうだ。
ラベルと言えば、映画や漫画の中で主人公が
過去と未来を行ったり来たりする架空の物語、
という風にしか頭に浮かばないんです。だか
ら、その……」
結局、妹崎の顔色を窺いながらも満留は思
ったままを口にする。あくまで作り話だと思
っているから純粋にエンターテイメントとし
て作品を楽しめる訳であって、いつか実現す
るかも知れないなどと思ったら、これからは
おちおち映画を観ることも出来なくなりそう
だった。
妹崎は「せやな、当たり前や」と頷くと、
イレーザーを持ってホワイトボードの中心辺
りを大雑把に消し始めた。そして、マーカー
でそこに何かを書き始める。黙って見ていれ
ばそれはどうやら電車と人のようで、細く長
い長方形に、窓のようなものがいくつか並ん
でいた。雑な絵を描き終えると、妹崎はマー
カーでコンコンとそれを指した。
「せっかくの機会やからな、特別講義や。
あんた、新幹線は乗ったことあるか?」
「えっ?はい、まあ……」
唐突に、目の前で妹崎の講義が始まってし
まい満留は目をシロクロさせる。すっかり忘
れていたが、妹崎は自分の研究に少しでも興
味を示す人間を見つけると、「わかった」と
言うまで長広舌をふるうのだ。それを知って
いるからこそ、いままでそういう素振りを見
せないようにしていたのだけれど。
たったいま、彼の特別講義は始まってしま
った。満留は教壇から「立ちなさい」と指示
された生徒のように、ぴんと背筋を伸ばして
耳を傾けた。
「ええか。信じられへんかも知れんけどな、
高速の乗り物に乗ったことのある人間は知ら
んうちに未来へタイムトラベルしとるんやで」
初めて知る真実に、満留は目を丸くする。
新幹線はたった一度、修学旅行でしか乗っ
たことがなかったが、まさか未来へタイムト
ラベルしているとは夢にも思わなかった。
「それって、どういうことなんですか?」
満留は妹崎の言葉に、目をきらきらとさせ
ながら訊ねた。妹崎は、にぃ、と目を細める。
その時、四時限目の開始を告げるチャイム
が鳴った気がしたが、特別講義は続行された。
「光の速さは秒速三十万キロなんやけどな、
その速度に近づくほど運動する物体の時計の
進み方は遅くなり、物体の長さは進行方向に
短くなるんや。つまり、静止している観測者
と光速で運動している物体の間に誤差が生じ、
物体は縮んで見える。その事象を身近で体験
できるんが新幹線や。仮に、時速三百キロの
新幹線で東京から博多へ移動すると、新幹線
の中はホームに静止している人間より十億分
の一秒だけ時間が送れる。ちゅうことはや、
新幹線の乗客は十億分の一秒だけ未来へ行っ
たことになるんや。この意味わかるか?」
マーカーで新幹線の下に矢印を書き込んで
妹崎が顔を覗く。「わかるか?」と聞かれる
と、「わかりました」とは言えないが、そう
答えなければ話は延々と続いてしまいそうだ。