さつきの花が咲く夜に
 趣のあるレンガ造りの一般教育棟を出ると、
大学と同じ敷地内にある国立京山病院へと向
かう。ここ、京山大学の咲田キャンパスには
理学部の他に医学部、歯学部、薬学部、工学
部が入っており、そのキャンパスに併設する
形で付属の京山病院が同じ敷地内にあった。

 百八十万平米を超える広大な敷地内には
バス停がいくつかあり、けれど学生たちは
それを使わずにキャンパス内を自転車で移動
している。

 手入れの施された芝生を眺めながら病院へ
と足を進める間も、満留の横を数台の自転車
が通り過ぎていった。すっかり陽の落ちた敷
地内を十五分ほど歩くと、やがて母の入院す
る大学病院が見えてくる。夕闇を削るように
聳え立つ病院は、外来診療棟、中央診療棟、
総合診療棟の東と西、入院棟に分かれていて、
施設内にはカフェやレストラン、コンビニ、
薬局、郵便局、スーパーまでもが揃っていた。

 まるで一つの街のようなそこがいまは生活
の拠点で、満留は病院の自動ドアをくぐって
最奥にある入院棟へと歩いてゆく。

 とうに診療時間を終えた院内はひっそりと
していて、中央にあるエスカレーターの音だ
けがカタカタと耳に聴こえた。満留は入院棟
のエレベーターに乗り込むと、肩に提げてい
たトートバッグを抱きしめ、七階のボタンを
押した。エレベーターのボタンが点滅しなが
ら上がってゆく間も、母の顔が頭から離れる
ことはなかった。





 「ただいまぁ」

 囁くように小声で言いながら個室の引き戸
を開けると、ベッドに身体を横たえたまま、
芳子がこちらを向いた。

 「……おかえり、満留。早かったね」

 やんわりと微笑みながらそう言った母に、
満留は小さく頷き、窓際にあるソファへバッ
グを置く。シャワーとトイレ、洗面台が完備
されている個室は広く、明るい。満留は紐を
引いてブラインドを閉めるとベッドの横に置
いてある椅子に腰かけ、経鼻酸素カニューレ
を装着している母の顔を覗き込んだ。

 「お母さん、今日はどう?夜ご飯は食べら
れそう?」

 そろそろ夕食が運ばれてくることを思いな
がら、母の手を握る。うっすらと細い血管と
点滴の痣が残る手の甲は痛々しく、また胸が
苦しくなってしまう。

 「口が……不味いのよねぇ。点滴している
からか、お腹も空かないし」

 どこか他人事のようにそう言って、食べら
れそうにないことを匂わせた母に、満留は表
情を曇らせた。


――口から物を食べられなくなったら、
終わりだ。


 ネットのどこかで見たそんな文面が頭を
擡げてしまう。ご飯が食べられなければ母は
どんどん痩せ細って体力を落としてしまうに
違いない。そうして体力と共に免疫力が落ち
れば、悪い細胞はどんどん増殖してしまうだ
ろう。
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