さつきの花が咲く夜に
 けれど、母に向けられた言葉は鋭い棘の
ようで、母の口から吐き出されたそれもまた、
針のように鋭い。その言葉たちは、容赦なく
俺の心にも突き刺さって、ズキズキと胸が痛
みだしてしまった。

 俺は堪らずに耳を塞いだ。

 「……やめてよ、母さん」

 婆ちゃんを責めてなんか、欲しくなかった。
 婆ちゃんは、何も悪くない。

 ただ、「大丈夫か?」と、傍に来て手を握っ
て欲しいだけなのに。どうして母さんは婆ち
ゃんを責めるばかりで、俺の傍に来てくれな
いのだろう?真っ先に、俺ところに来てくれ
ないのだろう?

 「すみません。他の患者さんのご迷惑にな
りますので……」

 やがて、二人を宥めるような声が微かに聞
こえたかと思うと、それを最後に、廊下は静
かになった。

 俺は耳を塞いだまま、その後の記憶はない。
 翌日、目を覚ますと、いつもと変わらぬ
婆ちゃんの笑顔だけが、傍にあった。



◇◇◇


 
 話し終えると、満は憂いにみちた顔で小さ
く息を吐いた。満留はスプーンを握ったまま、
食い入るように満を見つめている。

 二人のビーフカレーはすっかり冷めていた
が、満はまだ、何かを言いたそうに薄く唇を
開いている。満留は彼の口から言葉が吐き出
されるのを、じっと待っていた。

 「……前にさ、心理学の本を読んでみたん
だけど、親からちゃんとした愛情を与えられ
なかった子どもは愛着障害を抱えるから、自
分が親になっても子どもを愛せなかったり、
対人関係で色んな問題を抱えたりするらしい。
もしかしたら母さんには、そういう心の闇が
あって……だから子どもに愛情を感じないの
かも。親の愛情を感じられないまま育った俺
も、いつか自分の子を愛せない親になるかも
知れないって思うと……ぞっとするよ」

 そう言って寂しげな笑みを向けた満に、満
留は唇を噛み締める。そんな本を手に取って
しまうほどに、満は寂しくて仕方ないのだと
思えばやり切れなかった。

 彼はいま、自分がどんな顔をしているか、
わかっているのだろうか?


――お母さんが恋しいと。

――自分を愛して欲しいと。


 泣きながら訴える、小さな子どものような
顔をしている。

 満留はスプーンから手を離すと、テーブル
の上で手を組んだ。

 そうして、考える。
 たったいま、満から聞かされた話の中には、
違和感があった。それはきっと、第三者でな
ければ気付けない、違和感。

 けれど、それを口にしていいものかどうか、
一瞬迷ってしまう。もしかしたら、他人の自
分が家族のことに口出しすることを満は不快
に思うかも知れないからだ。余計なことを言
うなと、拒絶されるかも知れない。


――それでも。


 満留は静かに顔を上げると、口を開いた。
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