さつきの花が咲く夜に
 目の前の白壁には、ガーランドが吊るされ
ていた。毛糸で編まれたカラフルなマルシェ
バッグが五つ吊るさっていて、それぞれ色違
いのお花まで添えられている。そして、キャ
ビネットの上には綺麗に刺繡を施された楕円
の小物入れが置いてあり、その周辺にはフェ
ルトで作られた子猫が数匹、まるでじゃれな
がら遊んでいるように飾られていた。

 「ふふっ、可愛い」

 満留は子猫に、ちょん、と指先で触れると
目を細めた。

 家の中はあまりに綺麗に片付き過ぎていて、
家族写真の一枚もなくて、入って来たときは
人の温もりが感じられない寂しいお家だなと
思ってしまったけれど……この一角だけは温
かな雰囲気を醸し出していたのだ。

 実はカレーを食べ始めた時からずっと、
満留はこの場所が気になっていた。

 「カレー、温まったよ」

 声がして振り向くと、満が腰に手をあてて
後ろに立っている。満留は「うん」と、頷き
ながらも、視線をキャビネットの上に戻した。

 すると、満は満留の隣に並んで言った。

 「婆ちゃんだよ。コレ作ったの」

 「やっぱり?カレー食べてる時から気にな
ってたの。お婆さん、とても器用だったんだ
ね。マルシェバッグも手が込んでるし、刺繍
も子猫もすごく上手」

 感じたままを口にすると、満はにんまりと
口角を上げた。

 「婆ちゃんは裁縫が得意だったんだ。趣味
で手芸教室も開いてたくらいね。俺が学校で
使うレッスンバッグや体操着入れなんかも、
全部婆ちゃんが作ってくれてさ。凝ったデザ
インで、刺繍で名前まで入れてくれてたから、
『可愛い』って、女子にも評判だった」

 「すごいね、手芸教室もやってたんだ。私
のお母さんもね、編み物が得意なの。ずいぶ
ん前にやめちゃったけど編み物教室にも通っ
てて、ニット帽とかマフラーとか、色んなも
の作ってくれた。お母さんが編んでくれた物
は全部宝物でね、毛玉だらけになっても、
小さくて使えなくなっても、大事にとって
あるの」

 「俺もだよ。全部大事にとってある。世界
に一つだけの作品だし、もう二度と婆ちゃん
に作ってもらえないって思うと捨てられない」

 しみじみと満が言うので、満留は静かに彼
を見上げる。いつか自分も、母の編んだマフ
ラーや小物たちをそんな風に思いながら抱き
締める日が来るのだろうか?

 ふと、そんなことを思って、ぞくりと肩を
震わせた満留と、満の視線が重なった。向け
られた眼差しは深く、やさしく、彼の目には
自分が映り込んでいる。その瞳がなぜか、
『大丈夫だよ』と言ってくれている気がして、
とくりと鼓動が鳴った。

 「カレー、喰おっか」

 「……うん」

 満留はなんだか温かな気持ちになって含羞
むと、くるりと背を向けた満に続いた。

 そうして、ほわりと白い湯気をあげている
カレーを見やる。

 今度こそ、冷めないうちに食べてしまおう。
 お母さんも待っているし。

 そう思ってダイニングテーブルの椅子に手
を掛けた、その時だった。


――ピッ、ピリリリッ。


 突然、トートバッグの中の携帯が着信を告
げたので、二人は、はっ、と顔を見合わせた。
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