さつきの花が咲く夜に


――ピリリリッ。


 続けて二度目の着信が鳴り、満留の心臓は
グッと何かに掴まれたように痛くなる。
 満は眉根を寄せ、唇を噛みしめている。
 満留はガタガタと震え出してしまった手で
トートバッグから携帯を取り出すと、恐る恐
る通話ボタンに触れた。


――発信元は、「国立京山病院」だった。


 『もしもし、こちら、桜井満留様の携帯で
お間違えないでしょうか?』

 落ち着いた女性の声が電話の向こうに聴こ
え、「はい」と頷く。鼓動は耳に煩いくらい、
ばくばくと鳴っている。娘本人であることを
確認すると、女性は淡々と同じ声音で話し始
めた。

 『国立京山病院の病棟看護師、久保と申し
ます。先ほどお母様の意識がなくなりまして、
血圧が下がり始めたので念の為ご連絡させて
いただきました。いまはまだ八十を切ったと
ころですが、主治医が家族と話をしたいと申
しております。出来ればすぐに、こちらに来
ていただきたいのですが、可能でしょうか?』

 聴こえた声は、酷く遠かった。
 答えなければと思うのに、頭の芯が麻痺し
たようにぼんやりと揺らいで、声にならない。

 あまりのショックで言葉を失くしてしまっ
た満留に歩み寄ると、満は満留の肩にポンと
手を載せた。じんわりと、温もりが伝わって
満を向けば、彼は静かに頷いてくれる。沈黙
が続き、怪訝に思った看護師が受話器の向こ
うで、声のトーンをあげていた。

 『……桜井さん、聴こえてますか?』

 その声に一度深呼吸をすると、満留は震え
る声で答えた。

 「わかりました。……すぐにそちらに向か
います」

 それだけ告げると、満留は携帯から耳を離
してしまった。そして、カタカタと震える手
で口元を覆う。

 「……どうしよう。お母さんが……」

 最後に『いってらっしゃい』と言った母の
顔が鮮明に甦る。まさか、こんなことになる
なんて……わかっていたら絶対に傍を離れな
かったなんて、思ったところでもう遅い。

 『たのしんで』のひと言に安堵して病院を
離れてから、まだ二時間も経っていなかった。

 「急ごう。病院まで送ってく」

 大切な人を失くす苦しみを知る満が、冷静
に言って満留のトートバッグを手に持つ。
 そうして、「行こう」と満留を促した。

 けれど満留は、ゆるりと首を振った。
 視線は足元を向いたまま、満を見てはいない。

 「……大丈夫。一人で帰れる」

 消え入りそうな声で満留が答えると、満も
また、ゆるりと首を振った。その顔は子ども
を宥める親のそれだった。

 「何言ってんだよ。こんな状態の満留さん
を一人で行かせるなんて……出来るわけない
だろ。道は暗いし、大通り渡らなきゃならな
いし。危ないから送ってくよ」

 そう言って満が踵を返した瞬間、満留は
語気を強めてしまう。

 「いいってば!一人で帰れる」

 「……満留さん?」

 尖り声が背中に聴こえて満が振り返ると、
満留の目からは大粒の涙が零れ落ちていた。
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