さつきの花が咲く夜に
第七章:絡みつく孤独
翌日。
沈鬱な思いを深めるように秋雨が降り注ぐ、
夕刻。
母は安らかに、この世を去った。
――五十二年の人生だった。
前の晩から泣き続けた満留は憔悴しきって
いたが、それでも涙は枯れてくれなかった。
ベビーピンクのケア帽子を被ったままの母
は微笑みさえ浮かべているように見えるのに、
もう二度と自分の名を呼ぶことも、手を伸ば
して触れてくれることもない。
そう思えば、後から後から涙が込み上げて
きて、どうしようもない後悔と孤独感に襲わ
れてしまう。
意識を失う寸前、母は何を思っただろう?
どんな気持ちで『たのしんで』とメッセー
ジを送ったのだろう?本当は戻って来て欲し
い、傍にいて欲しいと言いたかったのではな
いか?――そう、母の想いを想像すれば心は
引き裂かれんばかりに痛んで仕方なかった。
そんな満留を慰めるように、病棟看護師の
久保が母の背に触れさせてくれたのは、臨終
から数十分が経ったころだった。
「背中はね、最後まで体温が残るんです。
だから、お別れに間に合わなかったご家族に
も触らせてあげるんですけど。ね、温かいで
しょう?」
そう言って、満留の手を導いてくれた久保
の手もまた温かく、満留は子どものように泣
きながら頷く。母の背に手を添えながら頬を
寄せれば、ふわりと母の匂いが胸に広がる。
いつもいつも、自分を包み込んでくれた
やさしい温もりがそこにあった。
「いい人生だったのでしょうね。桜井さん、
本当に穏やかな顔をしているわ」
満留の背中を擦りながらそう言ってくれた
久保に、満留はやはり、泣きながら頷く。
そして「ありがとうございます」と呟いた
満留に目を細めると、彼女は徐に口を開いた。
「そろそろエンゼルケアに入るので一旦、
廊下に出てもらえますか?担当医が死亡診断
書を持ってくるんですけど、葬儀社とか決ま
っていないなら病院の方で手配しますよ?」
「あ」
久保のその言葉に、満留は一瞬どうすれば
いいかわからず声を漏らす。けれど母から鍵
を預かっていることをすぐに思い出して、
「あっ」と、また声を漏らした。
「もしかしたら母の手帳に何か書いてある
かも。ちょっと見てみます」
そう言って涙を拭うと、トートバッグの中
のポーチから鍵を取り出す。そして、テレビ
台の下にあるセーフティーボックスに鍵を差
し込んだ。カチャ、と鍵の開く音がして鈍色
の扉が開く。中に入っていたのは白い紙袋で、
それを取り出してみれば母の手帳の他に通帳、
印鑑、手紙らしき水色の封筒、そして花柄の
包装紙でラッピングされた何かが入っていた。
満留は取り敢えず、手帳をめくってみた。
すると、見開きの一ページ目に葬儀社の電
話番号と担当者の名が記されている。母はや
はり、あらかじめ葬儀社を決めていたらしい。
そのページを後ろから覗き込むと、久保は
「やっぱり」と、呟いた。
「葬儀社は決まっているようね。桜井さん
らしいわ。すぐにそちらに連絡してもらえる
かしら?」
「わかりました。あの……エレベーター前
の談話室で待っていていいですか?袋の中身
を見てみたくて」
満留は紙袋を手に久保の顔を覗く。
母から自分宛ての手紙もそうだが、花柄の
包装紙の中身もすごく気になった。
沈鬱な思いを深めるように秋雨が降り注ぐ、
夕刻。
母は安らかに、この世を去った。
――五十二年の人生だった。
前の晩から泣き続けた満留は憔悴しきって
いたが、それでも涙は枯れてくれなかった。
ベビーピンクのケア帽子を被ったままの母
は微笑みさえ浮かべているように見えるのに、
もう二度と自分の名を呼ぶことも、手を伸ば
して触れてくれることもない。
そう思えば、後から後から涙が込み上げて
きて、どうしようもない後悔と孤独感に襲わ
れてしまう。
意識を失う寸前、母は何を思っただろう?
どんな気持ちで『たのしんで』とメッセー
ジを送ったのだろう?本当は戻って来て欲し
い、傍にいて欲しいと言いたかったのではな
いか?――そう、母の想いを想像すれば心は
引き裂かれんばかりに痛んで仕方なかった。
そんな満留を慰めるように、病棟看護師の
久保が母の背に触れさせてくれたのは、臨終
から数十分が経ったころだった。
「背中はね、最後まで体温が残るんです。
だから、お別れに間に合わなかったご家族に
も触らせてあげるんですけど。ね、温かいで
しょう?」
そう言って、満留の手を導いてくれた久保
の手もまた温かく、満留は子どものように泣
きながら頷く。母の背に手を添えながら頬を
寄せれば、ふわりと母の匂いが胸に広がる。
いつもいつも、自分を包み込んでくれた
やさしい温もりがそこにあった。
「いい人生だったのでしょうね。桜井さん、
本当に穏やかな顔をしているわ」
満留の背中を擦りながらそう言ってくれた
久保に、満留はやはり、泣きながら頷く。
そして「ありがとうございます」と呟いた
満留に目を細めると、彼女は徐に口を開いた。
「そろそろエンゼルケアに入るので一旦、
廊下に出てもらえますか?担当医が死亡診断
書を持ってくるんですけど、葬儀社とか決ま
っていないなら病院の方で手配しますよ?」
「あ」
久保のその言葉に、満留は一瞬どうすれば
いいかわからず声を漏らす。けれど母から鍵
を預かっていることをすぐに思い出して、
「あっ」と、また声を漏らした。
「もしかしたら母の手帳に何か書いてある
かも。ちょっと見てみます」
そう言って涙を拭うと、トートバッグの中
のポーチから鍵を取り出す。そして、テレビ
台の下にあるセーフティーボックスに鍵を差
し込んだ。カチャ、と鍵の開く音がして鈍色
の扉が開く。中に入っていたのは白い紙袋で、
それを取り出してみれば母の手帳の他に通帳、
印鑑、手紙らしき水色の封筒、そして花柄の
包装紙でラッピングされた何かが入っていた。
満留は取り敢えず、手帳をめくってみた。
すると、見開きの一ページ目に葬儀社の電
話番号と担当者の名が記されている。母はや
はり、あらかじめ葬儀社を決めていたらしい。
そのページを後ろから覗き込むと、久保は
「やっぱり」と、呟いた。
「葬儀社は決まっているようね。桜井さん
らしいわ。すぐにそちらに連絡してもらえる
かしら?」
「わかりました。あの……エレベーター前
の談話室で待っていていいですか?袋の中身
を見てみたくて」
満留は紙袋を手に久保の顔を覗く。
母から自分宛ての手紙もそうだが、花柄の
包装紙の中身もすごく気になった。