さつきの花が咲く夜に
いつの間にか二人の客が満留の後ろに並ん
でいたので、「こちらのレジへどうそ」と若い
店員が隣のレジで会計を始める。満留はその
声にはっとして正気を取り戻すと、か細い声
で「ありがとうございました」と言ってぺこ
りと頭を下げた。
そして、おぼつかない足取りで店を出てゆく。
大地は頼りなく、ふにゃふにゃと歪み、気
を抜けばその場に頽れてしまいそうだった。
満留は夢現のままに来た道を戻ると、満と
出会った中庭へ向かった。
「……満くん、どこにいるの?」
病院の夜間通用口を通って中庭のベンチに
戻ってみても、やはりそこに満の姿はなかった。
満留はぽつんと立ち尽くし、ぼんやりと白い
灯りに照らされた中庭を見渡した。ざわざわと、
冷えた風が万葉の葉を揺らし、『お化けが出る
よ』という実しやかな噂を思い起こさせる。
ひょっとすると、この場所には病院で亡くな
った人の魂が集まるのかも知れない。そんな風
に思うこともあったけれど……。
瞬間、満留はひとつの可能性に思い至り、
ぶるりと肩を震わせた。
もしかして、火事にあった満はこの病院に
運び込まれ、そして、この病院で命を落とし
たのだろうか?半年前に祖母が亡くなったと
いうのも彼の生前の記憶で……本当はとっく
の昔にこの世を去っていたのかも知れない。
「……まさか、そんなっ」
突如、物恐ろしい空気が辺りに立ち込めた
気がして、満留は怯えながら両腕を握りしめる。
悲しみではなく、恐怖からの涙がじわりと
滲み、全身の肌が粟立った。
――その時だった。
カサッ、と背後から葉の擦れる音がして満留
は思わず「きゃっ!」と声を上げた。恐ろしさ
に目を瞑り、身体を硬くする。
すると数秒後、「ミャオウ」と鳴き声が聞こ
え、そろりと振り返った。
「……なんだ、猫」
庭植えのさつきの下から、三毛猫がひょっ
こりと顔を覗かせている。その姿に、満留は
ほぅ、と息を吐き出し、そうしてある違和感
に目を見開いた。
ぽつり、ぽつりと、綺麗に咲いていたはず
のさつきの花がひとつも咲いていない。
中心にある噴水から絨毯のように咲き誇る
白い小花と、季節外れのさつきの朱、そして
生い茂る木々の緑のコントラストを満と眺め
ていたはずなのに……さつきの花が萎れてい
るどころか、蕾さえ見当たらないのだ。
「狂い咲きじゃ……なかったの?」
――何かが、おかしい。
そんな思いが脳裏を駆け抜ける。
さつきの花だけじゃない。
さっき立ち寄ったコンビニが変わっていた
ことだって、おかしな出来事だった。
もしや、自分は異次元にでも足を踏み入れ
ていたのではないかというあり得ない妄想が、
けれど、確かな真実味を持って胸に迫って
くる。
満留はごくりと唾を呑むと、冷静に考えた。
トートバッグから満のハンカチを取り出す。
この手にある感触が、満と過ごした時間は
決して幻ではないのだと告げている。
彼はきっと、この世界のどこかに存在して
るのだ。それがどこかはわからないけれど、
満は絶対に幽霊なんかじゃ、ない。
でいたので、「こちらのレジへどうそ」と若い
店員が隣のレジで会計を始める。満留はその
声にはっとして正気を取り戻すと、か細い声
で「ありがとうございました」と言ってぺこ
りと頭を下げた。
そして、おぼつかない足取りで店を出てゆく。
大地は頼りなく、ふにゃふにゃと歪み、気
を抜けばその場に頽れてしまいそうだった。
満留は夢現のままに来た道を戻ると、満と
出会った中庭へ向かった。
「……満くん、どこにいるの?」
病院の夜間通用口を通って中庭のベンチに
戻ってみても、やはりそこに満の姿はなかった。
満留はぽつんと立ち尽くし、ぼんやりと白い
灯りに照らされた中庭を見渡した。ざわざわと、
冷えた風が万葉の葉を揺らし、『お化けが出る
よ』という実しやかな噂を思い起こさせる。
ひょっとすると、この場所には病院で亡くな
った人の魂が集まるのかも知れない。そんな風
に思うこともあったけれど……。
瞬間、満留はひとつの可能性に思い至り、
ぶるりと肩を震わせた。
もしかして、火事にあった満はこの病院に
運び込まれ、そして、この病院で命を落とし
たのだろうか?半年前に祖母が亡くなったと
いうのも彼の生前の記憶で……本当はとっく
の昔にこの世を去っていたのかも知れない。
「……まさか、そんなっ」
突如、物恐ろしい空気が辺りに立ち込めた
気がして、満留は怯えながら両腕を握りしめる。
悲しみではなく、恐怖からの涙がじわりと
滲み、全身の肌が粟立った。
――その時だった。
カサッ、と背後から葉の擦れる音がして満留
は思わず「きゃっ!」と声を上げた。恐ろしさ
に目を瞑り、身体を硬くする。
すると数秒後、「ミャオウ」と鳴き声が聞こ
え、そろりと振り返った。
「……なんだ、猫」
庭植えのさつきの下から、三毛猫がひょっ
こりと顔を覗かせている。その姿に、満留は
ほぅ、と息を吐き出し、そうしてある違和感
に目を見開いた。
ぽつり、ぽつりと、綺麗に咲いていたはず
のさつきの花がひとつも咲いていない。
中心にある噴水から絨毯のように咲き誇る
白い小花と、季節外れのさつきの朱、そして
生い茂る木々の緑のコントラストを満と眺め
ていたはずなのに……さつきの花が萎れてい
るどころか、蕾さえ見当たらないのだ。
「狂い咲きじゃ……なかったの?」
――何かが、おかしい。
そんな思いが脳裏を駆け抜ける。
さつきの花だけじゃない。
さっき立ち寄ったコンビニが変わっていた
ことだって、おかしな出来事だった。
もしや、自分は異次元にでも足を踏み入れ
ていたのではないかというあり得ない妄想が、
けれど、確かな真実味を持って胸に迫って
くる。
満留はごくりと唾を呑むと、冷静に考えた。
トートバッグから満のハンカチを取り出す。
この手にある感触が、満と過ごした時間は
決して幻ではないのだと告げている。
彼はきっと、この世界のどこかに存在して
るのだ。それがどこかはわからないけれど、
満は絶対に幽霊なんかじゃ、ない。