さつきの花が咲く夜に
 「おう、来よったか。なんや……久しぶり
やな」

 クリアファイルを手に入り口に立つ満留を
見ると、妹崎は丸メガネの向こうの目をやん
わりと細める。満留はその笑みに、じん、と
胸の奥が痺れるような感覚を覚えながら、
「失礼します」と部屋の中に足を踏み入れた。

 ひょい、ひょい、と散乱する本や書類なん
かを慣れた様子で避けて、妹崎の前に立つ。
 と、満留は明らかにいつもとは違う表情を
して、小さく息を吐いた。

 「どしたん?」

 妹崎が広げていた本をパタリと閉じる。
 二人の間に、いままでにない空気が流れる。

 「コレ、書籍の発注書と物品購入申請書の
書類です。不備があって処理できないので、
届けにきました」

 淡々とそう告げてファイルを渡すと、妹崎
は黙って受け取る。その妹崎に、満留は一泊
置いて言葉を続けた。

 「それともう一つ。妹崎先生にお返しした
い物があって」

 そう言って、満留はスカートのポケットに
入れてあったハンカチを取り出した。あの夜、
満が自分に貸してくれた、空色のハンカチだ。

 満留に差し出されたそれを黙って受け取る
と、妹崎は目の前に立つ満留をじっと見つめた。

 「答えてください。妹崎先生が……満くん
なんですか?」

 唐突に発せられた言葉は、何も知らない者
が聞けば荒唐無稽以外の何ものでもないのに、
彼がそれを噴飯(ふんぱん)することはない。

 昨日、十七年前の記事に記されていた長男
の名は『紫暢(しのぶ)』で。教務課スタッフ全員に、
『母が病気で入院していることを妹崎先生に
話したか?』と問うと、誰一人話した者はい
なかった。


――つまりは、そういうことだ。


 満留は半ば、いま言ったことが真実である
ことを確信しながらこの部屋のドアをノック
したのだった。

 妹崎は何も答えないままジャケットの懐か
ら財布を取り出したかと思うと、札入れから
何かを取り出し、満留の掌に載せた。カサ、
と紙の感触がしてそれを見れば、そこには陽
に焼けて黄ばんだ河童とポロシャツの折り紙。

 あの夜、カレーのお礼にと満留がレシート
で折ったそれが掌にあった。

 「普通、名前聞かれたら苗字答えるやろ?」

 返ってきた言葉はそんなひと言で、けれど、
そのひと言がすべてを肯定している。耳にし
た瞬間、さまざまな感情が溢れ出し、手で口
を覆った満留を慈しむような眼差しで見つめ
ると、妹崎はゆったりとした所作で丸メガネ
を外した。




◇◇◇



――バタン!


 乱暴に玄関のドアの閉まる音がして、俺は
はっと我に返った。そうしてすぐに後を追い
かけようと玄関に向かい、足を止めた。


――満くんは何も悪くない。自分が許せない。


 そう言いながら彼女が向けた眼差しは赤く
涙に濡れていて、思い出せば、きりりと胸が
痛む。
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