さつきの花が咲く夜に
 「本当に……本当に、満くんなのね?」

 それでもまだ夢を見ているようで、作り話
ではないとわかっているのに、そんな言葉が
口をついて出てしまう。驚きに張り付いた喉
から出た声は涙に揺れ、拗ねた子どものよう
な声になってしまった。

 妹崎は手にしていた丸メガネをシャツの胸
ポケットにしまうと、ふ、と目を細めた。

 「なんや、まだ信じられへんのか?」

 穏やかな声で言って徐に左腕の袖のボタン
を外す。そしてゆっくりと袖を捲り上げれば、
痛々しくひきつった皮膚が服の下から晒される。


――間違いない。彼は『満』なのだ。


 そう確信すれば、涙が溢れて止まらない。
 満が生きていてくれた。
 そして彼も、自分を捜してくれていた。
 あの夜、酷い言葉を投げかけたままの自分
を許し、捜し求め、『真実』に辿り着いた彼は
十七年という気が遠くなるほどの時を超え、
いま目の前にいる。

 その事実は、あまりにも摩訶不思議すぎて、
嬉しすぎて、もう心の中はどうにもならない
ほどに散らかってしまったけれど。頬を伝う
涙は、決して悲しみから流れるものではなか
った。満留は濡れてしまった頬を手の甲で拭
うと、「生きててくれて、ほんとに良かった」
と、微笑んだ。

 妹崎が眩しそうに笑みを浮かべる。
 笑んでいるのに、泣き出してしまいそうに
見えるのは、なぜだろう?

 「ずっと、待っとった。ここに来れば……
会える。そう、信じとった」

 初めて聞く声が、胸を締め付ける。
 低く、けれどやさしい声は僅かに震えてい
て、息が詰まるほど胸が苦しくなってしまう。
 すん、と洟を啜って頷くと、妹崎は、ふ、
と息を漏らす。伸びきった、ぼさぼさな前髪
の下から覗く眼差しは、いつかの夜、『泣けば
いい』と言ってくれた満のそれと同じだった。

 「……心配しとったんやで?独りで泣いと
るんやないやろか。自分を責めとるんやない
やろか、て。そんなふうに」

 大きく骨ばった手が伸ばされて、満留の頬
に触れる。あの時、自分の手を引いて走って
くれた手なのだと思えば、触れる温もりが
愛しくて堪らない。ほのかに頬を染めながら、
せり上がってくる何かに喉を詰まらせながら、
満留はただ頷いた。

 「……あんたは独りやない。独りやないで」

 妹崎がそう言った瞬間、満留の顔がくしゃり
と歪んだ。十七年もの間、伝えられないままだ
ったその言葉が、緩やかに心を満たしてゆく。

 満留は零れ落ちる涙と共に小さく息を吐くと、
ずっと『満』に伝えたかったことを口にした。

 「私も、ずっと満くんに伝えたかったこと
があって……」

 頬に触れたままで、妹崎が小首を傾げる。
 満留は一度洟を啜ると、涙に滲む『満』を
じっと見つめた。

 「あの時、酷いことを言ってしまって……
本当にごめんなさい。それと……辛いとき、
一緒にいてくれて、ありがとう」

 言い終えた瞬間、妹崎の目から一粒の涙が
零れ落ちた気がした。けれどそれを確かめる
間もなく、満留は彼の腕に抱き寄せられてし
まう。強く、けれどやさしい腕が自分を包み
込み、満留は彼の肩に顔を埋める。耳元で、
すん、と洟を啜る音が聴こえて、二人は涙が
乾くまでずっと、互いの背を抱き締めていた。
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