さつきの花が咲く夜に
「それじゃ、お父さん、お母さん。行って
くるね」
小さな仏壇に並ぶ二人の写真に手を合わせ
ると、満留は目を細めた。真っ青な空に白く
咲き誇る桜木の前に立つ父と、自分を腕に抱
き、同じように桜木の前でにこりと微笑む母
の写真を並べれば、まるで家族が同じ空間に
いるように見えて、毎朝、手を合わせる度に
微笑んでしまう。
四十九日が過ぎ、母のいない生活にようや
く慣れてきたけれど、街中で白いタクシーを
見掛ければ母を想って胸が苦しくなるし、
時折り母のベッドに横たわると、母の寝息が
聞こえるような気がして、部屋の中を見回し
てしまう。けれどそこに母の姿はなく、涙が
零れてしまうこともあるけれど、「たとえ目
に見えなくても傍にいる」という母の手紙を
読み返せば、不思議と悲しみは霧散してゆく
のだった。
そうして、今日も一日が始まる。
満留は母が編んでくれた空色のニットベス
トにベージュのトレンチコートを羽織ると、
新調した黒のパンプスに足を通し、颯爽と家
を出て行った。
「門脇さん、お手伝いしましょうか?」
『講義で使用するプロジェクターの電源が
入らない!』という急な教授の呼び出しに対
応した満留が教務課に戻ると、門脇がゲンナ
リとした顔でコピー機の前に突っ立っていた。
コピー機の横に置いてあるパイプ椅子には、
印刷を終えたばかりの温かな用紙が、積み上
がっている。交互に重ねられたそれは、きっ
と注文部数通りに綴じなければならないのだ
ろう。すでに定時を過ぎている時計と、門脇
とを見比べると、門脇はポキポキと首を鳴ら
しながら嘆息した。
「桜井さんの気遣いは嬉しいんだけどねぇ。
コレ、数学科の柿山教授に頼まれた資料なん
だよねぇ」
「あー、柿山教授のですか……」
確か、あの教授は指示が細かいのだという
ことを思い出し、満留は肩を竦める。京友祭
も終わり、本格的な受験シーズン突入まで少
しの間暇になる。だから、帰れるときは早く
帰りたいと思っているに違いない門脇の役に
立ちたかったのだけど。やはり、安請け合い
するのは憚られた。
「お役に立てなくて、すみません」
相変わらず、ひょろりと背の高い門脇を見
上げると、門脇はにやりと笑いながら、自分
のデスクに視線を流した。
「いやいや。お手伝い出来ることなら他に
もあるよ。ほら、あそこに」
その視線を辿れば、すっかり見慣れたクリ
アファイルがひとつ。
それを見た瞬間、「またですか?」と満留
が目を丸くすると、門脇も「またですよ」と、
白い歯を見せる。
「申し訳ないけど、お願いできるかな?」
半ば、お約束のようにそう訊いてきた門脇
に満留は「もちろん」と即答する。そうして、
クリアファイルを手にすると「行って来ます」
と、教務課を出てゆくのだった。
その背を、にやにやしたまま見送っていた
門脇の隣に、柳が立つ。手には分厚い青色の
ファイルを持っているが、そのファイルをし
まう棚は反対側の壁にある。柳は、ふぅ、と
息を吐くと、ぼそりと言った。
くるね」
小さな仏壇に並ぶ二人の写真に手を合わせ
ると、満留は目を細めた。真っ青な空に白く
咲き誇る桜木の前に立つ父と、自分を腕に抱
き、同じように桜木の前でにこりと微笑む母
の写真を並べれば、まるで家族が同じ空間に
いるように見えて、毎朝、手を合わせる度に
微笑んでしまう。
四十九日が過ぎ、母のいない生活にようや
く慣れてきたけれど、街中で白いタクシーを
見掛ければ母を想って胸が苦しくなるし、
時折り母のベッドに横たわると、母の寝息が
聞こえるような気がして、部屋の中を見回し
てしまう。けれどそこに母の姿はなく、涙が
零れてしまうこともあるけれど、「たとえ目
に見えなくても傍にいる」という母の手紙を
読み返せば、不思議と悲しみは霧散してゆく
のだった。
そうして、今日も一日が始まる。
満留は母が編んでくれた空色のニットベス
トにベージュのトレンチコートを羽織ると、
新調した黒のパンプスに足を通し、颯爽と家
を出て行った。
「門脇さん、お手伝いしましょうか?」
『講義で使用するプロジェクターの電源が
入らない!』という急な教授の呼び出しに対
応した満留が教務課に戻ると、門脇がゲンナ
リとした顔でコピー機の前に突っ立っていた。
コピー機の横に置いてあるパイプ椅子には、
印刷を終えたばかりの温かな用紙が、積み上
がっている。交互に重ねられたそれは、きっ
と注文部数通りに綴じなければならないのだ
ろう。すでに定時を過ぎている時計と、門脇
とを見比べると、門脇はポキポキと首を鳴ら
しながら嘆息した。
「桜井さんの気遣いは嬉しいんだけどねぇ。
コレ、数学科の柿山教授に頼まれた資料なん
だよねぇ」
「あー、柿山教授のですか……」
確か、あの教授は指示が細かいのだという
ことを思い出し、満留は肩を竦める。京友祭
も終わり、本格的な受験シーズン突入まで少
しの間暇になる。だから、帰れるときは早く
帰りたいと思っているに違いない門脇の役に
立ちたかったのだけど。やはり、安請け合い
するのは憚られた。
「お役に立てなくて、すみません」
相変わらず、ひょろりと背の高い門脇を見
上げると、門脇はにやりと笑いながら、自分
のデスクに視線を流した。
「いやいや。お手伝い出来ることなら他に
もあるよ。ほら、あそこに」
その視線を辿れば、すっかり見慣れたクリ
アファイルがひとつ。
それを見た瞬間、「またですか?」と満留
が目を丸くすると、門脇も「またですよ」と、
白い歯を見せる。
「申し訳ないけど、お願いできるかな?」
半ば、お約束のようにそう訊いてきた門脇
に満留は「もちろん」と即答する。そうして、
クリアファイルを手にすると「行って来ます」
と、教務課を出てゆくのだった。
その背を、にやにやしたまま見送っていた
門脇の隣に、柳が立つ。手には分厚い青色の
ファイルを持っているが、そのファイルをし
まう棚は反対側の壁にある。柳は、ふぅ、と
息を吐くと、ぼそりと言った。