さつきの花が咲く夜に
 「まったく。早くくっつけばいいものを。
まどろっこしいと言うか、じれったいと言う
か。先生はいつまで、こんなこと続けるつも
りかしら?」

 「さあ、いつまで続けるつもりなんでしょ
うねぇ。素直に『会いに来て欲しい』って、
言えばいいのに。もしかして研究一筋だった
から交際経験がないのかも知れないですよ?
妹崎先生」

 口をへの字にしてそう言った門脇に、柳は
思いきり顔を顰める。その顔を見て、あはは、
と乾いた笑いをすると、門脇は、とんとん、
と印刷された用紙を束ねた。

 「まあまあ、そんな怖い顔しなくても。
きっともうすぐくっつきますよ。いくら鈍感
な桜井さんでも、さすがに気付いているでし
ょうし」

 「そうかしら。ずいぶん前に葉っぱかけた
けど、その時は『まさかぁ』なんて呑気に笑
ってたわよ?」

 「えっ、葉っぱかけたんですか?柳さんが。
めずらしいですね。そこまで部下の恋愛に首
突っ込むなんて」

 きょとんとした顔で門脇が言うと、柳は目
を細め、小首を傾げる。遠くを見やる表情は
どこか謎めいていて、野暮ったいお団子ヘア
とメガネをやめれば美人であることは間違い
なかった。

 「私も不思議なんだけど。何だか桜井さん
とは初めて会った時から、初めて会ったよう
な気がしないのよ。どうしてかしらね」

 「どういう意味ですか?それ」

 「さあ。私にもうまく説明できないから、
不思議だって言ったのよ。どうしてか世話を
焼きたくなってしまうの。年なのかしら?」

 そう言って肩を竦めた柳に、門脇は思わず
失笑する。その反応に「何よ」と、門脇の脇
を柳が肘で突いたので、「すみません、他意
はないです」と、門脇は身体をよじったのだ
った。






 クリアファイルを手にドアをノックすると、
すぐに、「ほい」と、いつもの返事が聞こえた。
 満留は勢いよくドアを開けると、備え付け
の小さな流しの前で珈琲を淹れている妹崎を
見つけ、「もうっ」と、口を尖らせた。

 「みっ……妹崎先生。わざと書類間違える
のやめてくださいって言ったじゃないですか」

 慣れた足取りで、ひょい、ひょい、と散乱
している書籍や書類を飛び越え、妹崎の前に
立つ。と、妹崎はくつくつと笑いながら、
こんもりと珈琲の粉が盛られたドリッパーに
ケトルの湯を注いだ。

 「二人きりの時は『満くん』でええよって
ゆうとるやんか。書類はあれや、こうでもせ
んと満留に会われへんから仕方なく間違えと
んねん」

 涼しい顔をしてそう言うと、妹崎はふわり
と漂い始めた珈琲の香りを、すぅ、と吸い込
んで幸せそうに息を吐く。満留は両手を腰に
あてると、妹崎とは違う種類の息を吐いた。
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