心霊部へようこそ!
【楽しかった?】
「わー! 今日も遅くなっちゃった! はやく帰らなくっちゃ!」
今日、わたしは学校の帰りがいつもより遅くなってしまった。
お父さんのバースデーの日はセンパイたちとおしゃべりのしすぎで遅れたけど、今日は事情が違う。
うちの学校は、部活にそれぞれ学校の仕事が順番に与えられる。
特別教室の掃除だったり、体育倉庫の片付けだったり、理科準備室の整理だったり。
そして今日、わたしがいる心霊部ににあてられた仕事は図書室の本の整理だった。
これがとっても大変!
みんな、昼休みや放課後に本を手に取ったりするんだけど、ちゃんと元の位置に戻さないことが多い。それを、文庫とか書籍とか絵本とか、色んなジャンルに直して、しかも作者さんの名前であいうえお順に並べなおさないといけない。
学校の図書室は大きくて、本もたくさん。
でも、心霊部員はユーレイ部員の太刀風さんと雪乃さんをあわせても四人だけ。
ふたりとも来てくれて四人でがんばったけど、帰りがおそくなってしまった。
「そもそも、部員数で仕事を分けてくれないのがおかしい! 野球部は二十人以上いるけど、うちは四人しかいないんだから!」
わたしも雪乃さんもそんな風にグチってた。
日がしずみそうになったとき、太刀風さんと晴人センパイが気をきかせてくれて、わたしと雪乃さんは先に帰らせてくれた。
最後までやると言ったんだけど、センパイが「女の子を日がしずむまで残せない」と言って太刀風さんもうなずいた。だからふたりはまだ作業をしているかも。
かんしゃしながら学校を出たころには夕暮れのオレンジもこくなっていて、電車から降りるころには完全に日がしずんでいた。
電車通学を始めてから、こんなに帰りが遅くなったのは初めて。
「はぁ、つかれたなぁ。今度センパイと太刀風さんになにかお礼しなきゃ」
今日ばっかりは、いくらこの間祠をきちんとしたと言っても竹林の道に入っていく気にはなれない。昼間でもうす暗い場所。今、あそこは真っ暗だろう。
だからわたしは遠回りになるけれど、街灯がきちんとともった道を選んで帰ることにした。
カツ、カツ、カツ、カツ。
なんだか道はとっても静かで、わたしのくつが地面に当たる音がひびく。
(この通り、こんなに静かだったっけ?)
大通りから一本道がそれているとはいえ、妙に静かすぎる気がする。
「こんな時間にこの道を通ったことないからわからないけど……なんかヤダなぁ」
道のまわりは家やマンション、アパートが建っていて明かりもついている。
だれもいないというワケではない。
だけど、みんな静かにすごしているのか、生活音もひとの声もほとんど聞こえない。
なんだかイヤな雰囲気をわたしのカンが感じ取る。
「わたしのカン、外れたことないんだよね。うう……はやく帰ろ!」
カツ、カツ、カツ、カツ。
自分の足音がうるさいくらい。
カツ、カツ、カツ、カツ。
こんなに家まで遠かったかな?
カツ、カツ、カツ、カツ。
コツ、コツ、コツ、コツ。
ふいに、後ろから音が重なって聞こえた。だれかの足音。
でも不思議。その足音は、わたしの足音とぴったり同じリズムでなるんだもん。
カツ、カツ、カツ、カツ。
コツ、コツ、コツ、コツ。
少し歩調をはやめてみたけど、やっぱり同じかんかくで音が重なる。
(うわぁ、もしかしてヘンなひとに後をつけられてる?)
ためしに立ち止まってみようかと思ったけど、それはやめた。
だってもし足音がそのまま近づいてきたら、それはそれで怖いもの。
さらに足をはやめる。
だけどダメだ。ずっと足音はわたしと同じ調子で歩いて来る。
(どうしよう? コンビニとか入った方が良い? でもこの道にコンビニなかったような)
何が目的なのだろう?
わたしをつかまえたいなら、わざわざ同じ歩調で進まないよね?
後をつけているだけ? でもそんなことに意味があるのだろうか。
竹林の道でも感じた、背筋がビリビリするような感覚――。
(これって、もしかして……ユーレイやオバケだったりする!?)
どうしよう、ひとでもユーレイでも怖い。
ブルリと身体がふるえて、周囲の空気がどんどん冷たくなっていくような気がした。
イヤな予感のオンパレードだ。
(そうだ、こういうときは電話! 電話したらいいんだ)
電話していれば、ひとなら手出しをしにくくなる。
ユーレイも、通話口の向こう側とはいえひとがいればどこか行ってくれるかもしれない。
(こういうときはやっぱり、晴人センパイ! 先に帰らせてもらってこんなことにまき込んでしまうのも申し訳ないけど、センパイごめんなさい!)
歩いたままスマートフォンを取り出して、センパイのIDに通話発信をした。
何度かコール音がして、晴人センパイが通話を取ってくれる。
『灯里、通話なんてめずらしいな。どうした? 忘れ物か?』
晴人センパイの声を聞いて、ちょっとだけ不安がまぎれる。
わたしは今起きていることをセンパイに説明することにした。
「晴人センパイ、こんな時間にごめんなさい! まだ作業中ですか?」
『いや、本の整理は終わった。今、太刀風といっしょに学校から駅に向かってる』
「おつかれさまです。あの、ですね。今わたし、何かに後をつけられてて……」
『あとをつけられている? 良くないな。どこか明るいお店とか入れないのか? そこで待っていれば迎えに行ってやる』
「それが、お店がなくて。住宅街のあたりです。竹林の道をよけて歩いている通りの……」
『ううん、たしかにあの通りには店とかなかった気がするな』
晴人センパイがうなり声をあげた。
「なので、電話で話していたら少しは安全かなと思って、スイマセンたよっちゃって」
『それはいい、気にするな。ただ問題はつけられているってことだな。電話を始めた今も変わらず追いかけてきているのか?』
一度受話器から少し耳をはなして、後ろの方の音に耳をすます。
カツ、カツ、カツ、カツ。
コツ、コツ、コツ、コツ。
やっぱりまだいる。電話してもダメなんだろうか。
「ダメです、ついてきています」
『ひとか、ひとじゃないかの判断はできるか?』
「それもわかんなくて。ふり返ってみるべきでしょうか?」
『むずかしいところだな、家までは?』
「もう五分もかからず着くはずです」
『よし、このまま通話を続けよう。出来れば、そっと後ろを見てみろ。ひとか霊かは知っておきたい。人ならオレは電話を太刀風に変わってもらってすぐに電車で向かう。霊ならこのまま通話を続けようかと思う』
「はい、ありがとうございます」
ワザと大きな声で「ありがとうございます」と言って、わたしはおじぎした。
そうすれば、自然な動きでちょっとだけ後ろも見えるから。
下げた頭から目線を走らせて、そっと後ろをのぞく。
パッと見た感じ、ひとのように思えた。だけどおかしい。何か違和感があった。
わたしはもう一度「どうもありがとうございます!」と言っておじぎして後ろをうかがった。そして、気がついた。
おじぎした範囲では、相手のお腹より下しか見えなかったけど。
その、足元が――真夏の太陽に照らされたアスファルトのようにゆれているのだ。
(これは……)
「センパイ、ひとじゃ、ないかもしれません……」
声がどうしてもこわばってしまう。
ひとでも後をつけられたら怖いけど、よりにもよってユーレイ!?
うう、せっかく竹林の道をワザワザさけて歩いてきたのに。
自分の取りつかれ体質がにくい。
『灯里は本当に引き寄せてしまうな。前に渡したお札はどうした?』
「言われた通り、へやに貼ってあります」
『じゃあ、とにかく無事に家まで帰れればなんとかなるか。いいか、霊に対して普通の人間ができることは、まず徹底的にムシすることだ』
「はい。あっ、でも……」
『でも?』
「あの、足音でついてきているって判断したんです。そのとき、普通に歩いたり早足で歩いたりしちゃいました。これって相手にしたことになっちゃうんでしょうか?」
少しはなれたところから「おそらく……向こうは気づいていよう……」と太刀風さんの声がした。ふたりに心配かけちゃって、ホント情けない。
『太刀風が言うからには、気づいている可能性が高いな。今はどんな状況だ?』
「わたしが足を早めてもゆっくり歩いても、同じ歩調でついてくる感じです」
『もしもいきなり近づいて来たら、大声を出せ。霊は大きな声が苦手だ。それに住宅街だから、あちこちから注目も集まる。ひとがたくさんいるところではあまり霊はいたずらできないことが多い』
「はい……」
カツ、カツ、カツ、カツ。
コツ、コツ、コツ、コツ。
静かな鬼ごっこは終わらない。
でもあと少し、あと少しでわたしの家だ。
冷たい汗が一筋流れた。それをぬぐって、深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
「あとちょっとで、うちのマンションに着きます」
『よし、もう少しのしんぼうだ。気を飲まれるなよ灯里』
「がんばります」
足音。
変わらず同じ歩調でついてくる。
あまりに規則正しくなるものだから、だんだん自分の足音か相手の足音かわからなくなってくる。いつまでも家にたどり着けないんじゃないか、そんな予感もおそってくる。
だけど立ち止まらずに進んだ。
センパイが言ったように、気持ちを飲まれないために。
遠くに、うちのマンションが見えてきた。走り出したいけど、ガマンした。
走り出したら、ユーレイを相手にしたことになるかもしれない。
「マンションが見えてきました。後ちょっとです」
『最後まで気を抜くなよ。そのまま進むんだ』
とつぜん、街灯の明かりが消えた。
叫び声をあげそうになるのをぐっとこらえる。
少しすると、明かりは元に戻る。ユーレイが、わたしをおどかそうとしている?
「街灯が、ついたり消えたりしています」
『気を引こうとしているな。全部ムシしろ、絶対に止まるなよ』
歩く。歩きつづける。マンションまでもう少し。
それにしても、静かだ。なんで今日はこんなに静かなのだろう。
まるで形だけ同じ別の世界に迷いこんでしまったみたい。
わたしと後をつける何かの足音、そしてわたしの呼吸の音だけがやけに大きく感じられた。
「もうちょっとで着きます」
『いいぞ、そのまま……ザザッ……きちんと……ザザッ……』
「晴人センパイ?」
スマートフォンの通話に雑音が入る。
電波の悪いときのラジオみたいな感じだ。いきなりどうしたのだろう。
「センパイ、通話に何かノイズが入るのですが?」
『それもおそらく……ザザッ……の仕業だろう……ザザッ……気をつけろ』
ユーレイって電波にまでいやがらせしてくるの!?
唯一安心できるはずの晴人センパイとの通話まで怖くなってしまうなんて。
でも、もうマンションは目の前だ。あとほんの少しで着く。
(とにかく、ムシしなきゃ。ムシして歩く。ムシして歩く!)
マンションの明かりが届くところまで来た。
足音はついてきているけれど、距離は変わっていない。だいじょうぶ。
ようやく、マンションの入り口にたどり着いた。これでもう安心だ。
わたしは晴人センパイにお礼を言った。
「晴人センパイ、無事にマンションまで着きました。家にはお札もありますし、もうだいじょうぶそうです。おそい時間に、ありがとうございました」
『そうか、良かった。がんばったな、月城。今度もう一枚、持ち歩ける用の札も作っておく。じゃあ、最後まで気をつけてな』
「はい、失礼します。お札もありがとうございます。また明日、学校で」
持ち歩けるお札があったら、安心だよね。
わたしはホッと胸をなで下ろして、スマートフォンの通話を切った。
明るい、マンションのエントランスに向かって歩きだす。
その瞬間――。
『電話、楽しかった?』
私の耳のすぐとなりでにごりきった男の声が響いた。
「ひっ!?」
息をのんだわたしが声の方向を見る。そこには誰の姿もない。
ただ、まるで地面に深い穴をほったようなぽっかりと開いた真っ黒な空間が、すべり込むようにして、わたしのマンションの中へと消えて行った――。
「わー! 今日も遅くなっちゃった! はやく帰らなくっちゃ!」
今日、わたしは学校の帰りがいつもより遅くなってしまった。
お父さんのバースデーの日はセンパイたちとおしゃべりのしすぎで遅れたけど、今日は事情が違う。
うちの学校は、部活にそれぞれ学校の仕事が順番に与えられる。
特別教室の掃除だったり、体育倉庫の片付けだったり、理科準備室の整理だったり。
そして今日、わたしがいる心霊部ににあてられた仕事は図書室の本の整理だった。
これがとっても大変!
みんな、昼休みや放課後に本を手に取ったりするんだけど、ちゃんと元の位置に戻さないことが多い。それを、文庫とか書籍とか絵本とか、色んなジャンルに直して、しかも作者さんの名前であいうえお順に並べなおさないといけない。
学校の図書室は大きくて、本もたくさん。
でも、心霊部員はユーレイ部員の太刀風さんと雪乃さんをあわせても四人だけ。
ふたりとも来てくれて四人でがんばったけど、帰りがおそくなってしまった。
「そもそも、部員数で仕事を分けてくれないのがおかしい! 野球部は二十人以上いるけど、うちは四人しかいないんだから!」
わたしも雪乃さんもそんな風にグチってた。
日がしずみそうになったとき、太刀風さんと晴人センパイが気をきかせてくれて、わたしと雪乃さんは先に帰らせてくれた。
最後までやると言ったんだけど、センパイが「女の子を日がしずむまで残せない」と言って太刀風さんもうなずいた。だからふたりはまだ作業をしているかも。
かんしゃしながら学校を出たころには夕暮れのオレンジもこくなっていて、電車から降りるころには完全に日がしずんでいた。
電車通学を始めてから、こんなに帰りが遅くなったのは初めて。
「はぁ、つかれたなぁ。今度センパイと太刀風さんになにかお礼しなきゃ」
今日ばっかりは、いくらこの間祠をきちんとしたと言っても竹林の道に入っていく気にはなれない。昼間でもうす暗い場所。今、あそこは真っ暗だろう。
だからわたしは遠回りになるけれど、街灯がきちんとともった道を選んで帰ることにした。
カツ、カツ、カツ、カツ。
なんだか道はとっても静かで、わたしのくつが地面に当たる音がひびく。
(この通り、こんなに静かだったっけ?)
大通りから一本道がそれているとはいえ、妙に静かすぎる気がする。
「こんな時間にこの道を通ったことないからわからないけど……なんかヤダなぁ」
道のまわりは家やマンション、アパートが建っていて明かりもついている。
だれもいないというワケではない。
だけど、みんな静かにすごしているのか、生活音もひとの声もほとんど聞こえない。
なんだかイヤな雰囲気をわたしのカンが感じ取る。
「わたしのカン、外れたことないんだよね。うう……はやく帰ろ!」
カツ、カツ、カツ、カツ。
自分の足音がうるさいくらい。
カツ、カツ、カツ、カツ。
こんなに家まで遠かったかな?
カツ、カツ、カツ、カツ。
コツ、コツ、コツ、コツ。
ふいに、後ろから音が重なって聞こえた。だれかの足音。
でも不思議。その足音は、わたしの足音とぴったり同じリズムでなるんだもん。
カツ、カツ、カツ、カツ。
コツ、コツ、コツ、コツ。
少し歩調をはやめてみたけど、やっぱり同じかんかくで音が重なる。
(うわぁ、もしかしてヘンなひとに後をつけられてる?)
ためしに立ち止まってみようかと思ったけど、それはやめた。
だってもし足音がそのまま近づいてきたら、それはそれで怖いもの。
さらに足をはやめる。
だけどダメだ。ずっと足音はわたしと同じ調子で歩いて来る。
(どうしよう? コンビニとか入った方が良い? でもこの道にコンビニなかったような)
何が目的なのだろう?
わたしをつかまえたいなら、わざわざ同じ歩調で進まないよね?
後をつけているだけ? でもそんなことに意味があるのだろうか。
竹林の道でも感じた、背筋がビリビリするような感覚――。
(これって、もしかして……ユーレイやオバケだったりする!?)
どうしよう、ひとでもユーレイでも怖い。
ブルリと身体がふるえて、周囲の空気がどんどん冷たくなっていくような気がした。
イヤな予感のオンパレードだ。
(そうだ、こういうときは電話! 電話したらいいんだ)
電話していれば、ひとなら手出しをしにくくなる。
ユーレイも、通話口の向こう側とはいえひとがいればどこか行ってくれるかもしれない。
(こういうときはやっぱり、晴人センパイ! 先に帰らせてもらってこんなことにまき込んでしまうのも申し訳ないけど、センパイごめんなさい!)
歩いたままスマートフォンを取り出して、センパイのIDに通話発信をした。
何度かコール音がして、晴人センパイが通話を取ってくれる。
『灯里、通話なんてめずらしいな。どうした? 忘れ物か?』
晴人センパイの声を聞いて、ちょっとだけ不安がまぎれる。
わたしは今起きていることをセンパイに説明することにした。
「晴人センパイ、こんな時間にごめんなさい! まだ作業中ですか?」
『いや、本の整理は終わった。今、太刀風といっしょに学校から駅に向かってる』
「おつかれさまです。あの、ですね。今わたし、何かに後をつけられてて……」
『あとをつけられている? 良くないな。どこか明るいお店とか入れないのか? そこで待っていれば迎えに行ってやる』
「それが、お店がなくて。住宅街のあたりです。竹林の道をよけて歩いている通りの……」
『ううん、たしかにあの通りには店とかなかった気がするな』
晴人センパイがうなり声をあげた。
「なので、電話で話していたら少しは安全かなと思って、スイマセンたよっちゃって」
『それはいい、気にするな。ただ問題はつけられているってことだな。電話を始めた今も変わらず追いかけてきているのか?』
一度受話器から少し耳をはなして、後ろの方の音に耳をすます。
カツ、カツ、カツ、カツ。
コツ、コツ、コツ、コツ。
やっぱりまだいる。電話してもダメなんだろうか。
「ダメです、ついてきています」
『ひとか、ひとじゃないかの判断はできるか?』
「それもわかんなくて。ふり返ってみるべきでしょうか?」
『むずかしいところだな、家までは?』
「もう五分もかからず着くはずです」
『よし、このまま通話を続けよう。出来れば、そっと後ろを見てみろ。ひとか霊かは知っておきたい。人ならオレは電話を太刀風に変わってもらってすぐに電車で向かう。霊ならこのまま通話を続けようかと思う』
「はい、ありがとうございます」
ワザと大きな声で「ありがとうございます」と言って、わたしはおじぎした。
そうすれば、自然な動きでちょっとだけ後ろも見えるから。
下げた頭から目線を走らせて、そっと後ろをのぞく。
パッと見た感じ、ひとのように思えた。だけどおかしい。何か違和感があった。
わたしはもう一度「どうもありがとうございます!」と言っておじぎして後ろをうかがった。そして、気がついた。
おじぎした範囲では、相手のお腹より下しか見えなかったけど。
その、足元が――真夏の太陽に照らされたアスファルトのようにゆれているのだ。
(これは……)
「センパイ、ひとじゃ、ないかもしれません……」
声がどうしてもこわばってしまう。
ひとでも後をつけられたら怖いけど、よりにもよってユーレイ!?
うう、せっかく竹林の道をワザワザさけて歩いてきたのに。
自分の取りつかれ体質がにくい。
『灯里は本当に引き寄せてしまうな。前に渡したお札はどうした?』
「言われた通り、へやに貼ってあります」
『じゃあ、とにかく無事に家まで帰れればなんとかなるか。いいか、霊に対して普通の人間ができることは、まず徹底的にムシすることだ』
「はい。あっ、でも……」
『でも?』
「あの、足音でついてきているって判断したんです。そのとき、普通に歩いたり早足で歩いたりしちゃいました。これって相手にしたことになっちゃうんでしょうか?」
少しはなれたところから「おそらく……向こうは気づいていよう……」と太刀風さんの声がした。ふたりに心配かけちゃって、ホント情けない。
『太刀風が言うからには、気づいている可能性が高いな。今はどんな状況だ?』
「わたしが足を早めてもゆっくり歩いても、同じ歩調でついてくる感じです」
『もしもいきなり近づいて来たら、大声を出せ。霊は大きな声が苦手だ。それに住宅街だから、あちこちから注目も集まる。ひとがたくさんいるところではあまり霊はいたずらできないことが多い』
「はい……」
カツ、カツ、カツ、カツ。
コツ、コツ、コツ、コツ。
静かな鬼ごっこは終わらない。
でもあと少し、あと少しでわたしの家だ。
冷たい汗が一筋流れた。それをぬぐって、深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
「あとちょっとで、うちのマンションに着きます」
『よし、もう少しのしんぼうだ。気を飲まれるなよ灯里』
「がんばります」
足音。
変わらず同じ歩調でついてくる。
あまりに規則正しくなるものだから、だんだん自分の足音か相手の足音かわからなくなってくる。いつまでも家にたどり着けないんじゃないか、そんな予感もおそってくる。
だけど立ち止まらずに進んだ。
センパイが言ったように、気持ちを飲まれないために。
遠くに、うちのマンションが見えてきた。走り出したいけど、ガマンした。
走り出したら、ユーレイを相手にしたことになるかもしれない。
「マンションが見えてきました。後ちょっとです」
『最後まで気を抜くなよ。そのまま進むんだ』
とつぜん、街灯の明かりが消えた。
叫び声をあげそうになるのをぐっとこらえる。
少しすると、明かりは元に戻る。ユーレイが、わたしをおどかそうとしている?
「街灯が、ついたり消えたりしています」
『気を引こうとしているな。全部ムシしろ、絶対に止まるなよ』
歩く。歩きつづける。マンションまでもう少し。
それにしても、静かだ。なんで今日はこんなに静かなのだろう。
まるで形だけ同じ別の世界に迷いこんでしまったみたい。
わたしと後をつける何かの足音、そしてわたしの呼吸の音だけがやけに大きく感じられた。
「もうちょっとで着きます」
『いいぞ、そのまま……ザザッ……きちんと……ザザッ……』
「晴人センパイ?」
スマートフォンの通話に雑音が入る。
電波の悪いときのラジオみたいな感じだ。いきなりどうしたのだろう。
「センパイ、通話に何かノイズが入るのですが?」
『それもおそらく……ザザッ……の仕業だろう……ザザッ……気をつけろ』
ユーレイって電波にまでいやがらせしてくるの!?
唯一安心できるはずの晴人センパイとの通話まで怖くなってしまうなんて。
でも、もうマンションは目の前だ。あとほんの少しで着く。
(とにかく、ムシしなきゃ。ムシして歩く。ムシして歩く!)
マンションの明かりが届くところまで来た。
足音はついてきているけれど、距離は変わっていない。だいじょうぶ。
ようやく、マンションの入り口にたどり着いた。これでもう安心だ。
わたしは晴人センパイにお礼を言った。
「晴人センパイ、無事にマンションまで着きました。家にはお札もありますし、もうだいじょうぶそうです。おそい時間に、ありがとうございました」
『そうか、良かった。がんばったな、月城。今度もう一枚、持ち歩ける用の札も作っておく。じゃあ、最後まで気をつけてな』
「はい、失礼します。お札もありがとうございます。また明日、学校で」
持ち歩けるお札があったら、安心だよね。
わたしはホッと胸をなで下ろして、スマートフォンの通話を切った。
明るい、マンションのエントランスに向かって歩きだす。
その瞬間――。
『電話、楽しかった?』
私の耳のすぐとなりでにごりきった男の声が響いた。
「ひっ!?」
息をのんだわたしが声の方向を見る。そこには誰の姿もない。
ただ、まるで地面に深い穴をほったようなぽっかりと開いた真っ黒な空間が、すべり込むようにして、わたしのマンションの中へと消えて行った――。