あなたの落とした願いごと
「おかえりー」


リビングの方からは、間髪入れずに兄の明るい声が聞こえてくる。


語尾に大好きだよ、なんて付けてくるから、恥ずかしくて廊下で苦笑した。



と。


「おかえりー。お先にお風呂頂きましたー」


いきなり洗面所の扉が開いたかと思うと、バスタオルを頭に巻き付けた男性が姿を現した。


「へっ、」


バスタオルで髪が完全に隠れたその人を見た私は、素っ頓狂な声を上げて固まった。


「今日、海に行ってきたんだ。お風呂の床、砂っぽかったらごめんね」


その人は私と面識があるのか、やたらと馴れ馴れしく話してくるけれど。


(この人、誰…?)


最早私の耳には、会話の内容なんてまるで入ってきていなかった。


その人は体型と口調からして男の人で、背は兄と同じくらいの高さ。


その声は今まで聞いた事がないくらいにガラガラと掠れていて、兄の友達にこんなハスキーな声をしていた人が居たのかと疑問に思う。


その人が着ているのは兄の部屋着で、お風呂に入っていたせいで装飾品も全て外しているから、外見で彼が誰かを当てるのは不可能に等しかった。


兄が連れて来た新しい友達かもしれない、と結論づけた私は、なるべく怪しまれないように最大級の作り笑顔を顔に貼り付ける。


「そうなんですね…。あの、ゆっくりしていって下さい」


私の発した言葉は、何の失礼も無かったはず。
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