あなたの落とした願いごと

｢…は？｣


途端、男の人の眉間に軽く皺が寄ったのが見えた。

怒らせたかな。


｢お前、俺の名前忘れたの？｣


何処か納得いかない様にそう言ってくる彼に向かって、私は微かに頷く。



瞬間。


｢あー！神葉君おはよう！王子様役だから髪染めたの？めっちゃ似合ってる！｣


バタバタとこちらに駆けてくる足音と共に、エナの興奮気味な大声が聞こえてきた。


｢えっ、｣


心臓の鼓動が、周りの音をかき消す程に大きく聞こえた。



今、エナは、なんて言った？

神葉君って、言ったよね…？




ああ嘘でしょう、こんな事ってある？





私は今、好きな人の事を忘れてしまっていたの？





｢沙羅、…おはよう｣


男の人…いや、滝口君の方を向いて呆然と立ち尽くしている私を見て全てを察したのか、一瞬で冷静な声色に戻ったエナがそっと私の肩に手を置いた。


｢神葉君、髪の毛染めたみたいだよ、｣


それはまるで、幼子に話しかけるように優しく、ゆっくりと。


エナの声はすとんと私の中に入って、これまでに無いほどの強大な罪悪感を生み出す。


｢っ、｣


｢ああ、昨日染めた。…田中ー、お前の眼鏡度強過ぎるから返すわ｣


しかも彼は田中君の眼鏡を勝手につけていたらしく、それを外して机の上に置いた。


｢俺、そんなに外見変わったかな｣